ボクは、よく岸田首相をダメ出ししてるから、反自民に思われるかもしれないけど、実は右でも左でもなくて(左翼は嫌いだけど)、どこの政治団体に対しても支持してないし、思想・信条に与しないでいるんですね。



本来は余計なことはあまり言わないのが信条なんだけど、やっぱりダメなものはダメって言わないといけないのかなって最近は思う真顔



(佐藤栄作さんの時代)

自分が初めて政治と言うのを意識したのが、確か小学生か幼稚園の時で佐藤栄作って人が首相でした。


覚えているのが、なんかで会見でマスコミ記者と対立して「出て行って構わない!」ってぶちかまして、ホントに記者が記者会見場から出ちゃった事件ね。

netgreekからの引用です⇩


退陣表明記者会見での佐藤栄作元総理「新聞記者の諸君とは話さないことになってる。テレビカメラはどこかね?僕は国民に直接話したい。新聞になると文字になると違うからね。さっきもいったように偏向的な新聞は嫌いなんだ。大嫌いなんだ」』



ボクは子どもながら佐藤首相って、スゲー気骨ある人だと思ったし、首相って孤独なんだと思いました。


(田中角栄さんの時代)
その後、田中角栄さんが首相だっけ🙄

小学生のボクには田中角栄首相の政治はよく分かんなかったけど、「日本列島改造論」って本を書いて話題でしたね。賛否両論だったけど、当時横浜で生まれ育ったボクにはこれ以上日本を都市化する必要なんかないって思ってたね。

だけど、地方を見ると都市との格差が大きすぎて、都市と地方とを高速道路や新幹線で結んで、交通や物流の時間短縮化を図るというのは、全然間違ってなかったと思う。

田中角栄さんが唯一失敗したのは、中国との国交回復を決断して、援助し続けたことかなぁ🙄 あんまり政治に詳しい訳じゃないけど、太平洋戦争の戦後処理で台湾の蒋介石さんには日本は助けられたんだよね。

その大恩ある台湾を切り捨てて、中国に援助した結果、現在の敵国的な中国の状況を考えると、やはり共産主義と民主主義とは相容れないから国交回復するべきじゃなかった。民主主義国家との連携を考えるべきと、子どもながらに思いました。


共産主義や社会主義は初めから嫌いだったです。田中首相の頃かな?たしか、あさま山荘事件とかあって、内ゲバで『総括』とか言って、リンチして仲間を殺すってのを目の当たりにして、結局山の大将がそれ以外の人の生殺与奪を好き勝手にするのが、共産主義、社会主義思想の本質だと思った。

実は母がサヨクで、運動とかはしてないけど、朝日新聞を読み、社会党を応援してた(と思う)。

それはなぜかというと、小学生で戦争を経験して、疎開したり、さんざんな目にあったから右翼とか保守とかが相容れなくて、見かけの平和主義とか護憲政治を支持してたんだけど、それは分かると思いました。

戦争で何もかも信じられなくなって、口ばかり理想を唱える勢力になびいてしまうのはありえますからね😅


あと、石油ショックとかで社会不安がありました。みんな血相を変えて、トイレットペーパー買い漁ってたけど、野蛮人なボクは、ケツなんかいざとなったら手で拭いて、後で手を洗えばイイじゃん😅とか思った😁


(三木武夫さんから鈴木善幸さんまでの時代)
三木首相から鈴木善幸さんまでは順繰りに首相が変わっただけで、あんまり首相の政治が何の役割を果たしたとか記憶がないです。また、ボクはノンポリだから、あまり政治が何をしていたかも調べてないです。

ただ、このころまでは良い時代でしたね。あまり日本の将来に不安とかなかったし、大学まで行ってマジメに働けば、戦争の影に怯えることもなく生きていられる感じがしました。

このころ、音楽文化も栄えてましたし、良い時代でした爆笑


三木首相は確か田中角栄さんの金権政治批判で出てきて、福田さんはさらなる経済成長を期待し、大平さんは田中角栄さんの後ろ盾で出て、伊東正義さんは誰もなり手がなくて🤭、伊東正義さんや鈴木善幸さんは何で出てきたんだろう?🙄って分からないイメージでしたね。


(中曽根康弘さんの時代)
中曽根康弘さんという人は、政界風見鶏とか言われていて、党内基盤もそんなに強大ではなかった。岸田首相と党内基盤の境遇は似ていて、総理大臣になりたがっていたのも似てました。

ただ決定的に違っていたのが、岸田首相はただ首相の椅子に座りたかっただけなのに対して、中曽根首相は戦後政治の総決算をしたかったなど総理大臣になってやり遂げたいことがありました。

国鉄民営化が良い例だけど、国が抱えてるロクでもない赤字垂れ流し組織がたくさんありましたが、それを国から切り離して民営化するって、中曽根首相が始めたと言う印象がありました。


それで、中曽根首相の何が凄いかというと人事ですね。経済界からは土光敏夫さんを連れてきて、政界ではバリバリ田中派の懐刀である後藤田正晴さんを官房長官に起用した。


この2人の強大な知力と実行力は半端なくて、そこいらの官僚が束になっても敵わなかった。だから、中曽根首相の政策はやり遂げられたんだと思いました。


(竹下登さんから宮澤喜一さんまで)
竹下登さんは田中派の有力議員でしたが、田中派を割って経世会を作り、見かけ上は田中角栄さんを裏切ったわけです。

田中角栄さんは大激怒し、深酒して脳梗塞だかで卒倒し、以降政治の裏舞台からも消えてしまいましたが、良くも悪くも日本の繁栄を表も裏も支えた人物が居なくなった影響は大きいと思いました。

竹下首相は消費税を始めた人、次の宇野宗佑首相は愛人になれと3本指で交渉しただけで終了した人、海部俊樹首相は何したか覚えてない人😅、宮澤喜一さんは長らく大蔵大臣していたから、なんか期待してたけど全然ダメでしたね。頭の良い人らしいけど、なんかズレていて田原総一朗に重い決断を言わされて辞めることになっちゃった😅

この頃、バブル景気で、国民も浮かれてたから政治がイマイチでも何とかなっちゃった感じがしました😁


(細川護熙さん、羽田孜さん、村山富市さんの時代)
細川護熙さんが首相になったのは、確か消費税反対と女性の政治進出を主導した社会党の土井たか子さんのマドンナ旋風に自民党が参院選で負けて体力を損なったところに新党ブームで日本新党、さきがけが出てきて、小沢一郎さんが暗躍して政権交代となったイメージですね。

細川護熙政権は当初安定していたように思いましたけど、突然深夜に国民福祉税を打ち出して、社会党から大ブーイングされて辞めたんだっけ🙄

引き続き、総理大臣になった羽田孜さんはもともとは田中派の幹部だった人でマトモな方だと思いましたが、内閣不信任案可決が不可避で辞職せざるを得なかった。

それで、世にもヘンテコリンな自民党、社会党、さきがけという水と油の政権ができて、なんと社会党の党首の村山富市さんが首相に。

村山富市さんはご高齢で、災害のとき周りが忖度して起こさず、迅速な対応ができなかったと批判されたりしてましたが、なんか安定してましたね。

その理由として、社会党が首班のうちは消費税増税はしないだろうという安心感が国民にあったからだと思いました😀


(橋本龍太郎さんの時代)
橋本龍太郎さんでまた自民党政権になったけど、この頃から選挙のために公明党と連立しなければならなくなりました。

橋本龍太郎首相の業績は日米安保のために沖繩辺野古基地の移転を決めたことで、これは首相自らが大変な苦労をして得たことで、日本の防衛戦略上必ずやらねばならなかったと思いました。

今ほど中国が危険な国家と認識される前からなので、称賛に値します。これは、アメリカの後ろ盾を外したフィリピンなどが中国に南沙諸島を奪われたりしてるから明白ですね。後ろ盾の力がない平和論は自国の防衛の足枷にしかならないと言うことですね。


橋本龍太郎さんはタイミング悪く増税してしまい、ちょうどバブルが弾けてしまって、不運でしたショボーン


(小渕恵三さんの時代)
小渕恵三さんは平成おじさんで有名だけど、あとはカブを持ち上げて「カブよ、上がれ」って言ってた思い出しかないけど、ねじれ国会の中でたぶん日本の安定に頑張ってたかもしれません。お人柄が良さげだし、小渕恵三さんしかできなかったかも。

あと、重大なことが。選挙中に脳梗塞で倒れて、お亡くなりにびっくり 日本人は優しいから小渕さんを偲んで自民党に多数投票しちゃった😅 それが森喜朗政権に繋がったのは歴史的にどうなのだろうか?

(青木幹雄さんを経て森喜朗さんの時代)
小渕恵三さんが亡くなって、自民党5人衆が談合で決めたのが森喜朗さんと言われていて、結果的に森喜朗首相になっちゃったけど、正直森喜朗さんて、首相に向いてなかったよね😅

ことあるごとに問題発言していて、例の「神の国」発言でマスコミから大ブーイングを受けました。内容を聞くと、いまじゃ大したことじゃないけど、当時首相が言うには憚られるものでした。

自民党の人気は凋落して、加藤紘一さんによる加藤派の内閣不信任案賛成で森内閣を打倒する「加藤の乱」が起きましたが、知恵者の幹事長・野中広務氏に封殺され、加藤紘一さんは表舞台から去ることになりました😅


(小泉純一郎さんの時代)
小泉純一郎さんは、森喜朗さんの不人気を背景に出てきた人で、選挙戦術とかは戦国武将並みの人だと思いました。

森喜朗さんが内閣総辞職で、次の首相候補は橋本龍太郎さんと小泉純一郎さん。ただ、派閥の力関係から言えば議員票で小泉さんの勝ち目は危うかった。

それで、小泉さんは議員票に先立って行われる自民党員票に絞って駅前で演説して、国民を味方につけようとしたんだね😀 これで、圧倒的な党員票を獲得して、その勢いで議員票が小泉さんに流れて逆転勝利したという、今までにない戦法でした。

小泉さんと言えば、郵政民営化が有名だけど、非正規雇用を拡大したというのも大きいね。これは毀誉褒貶が大きいけど、当時は経済界を保護しなければ危うい状況と言われていたから、仕方ない側面もありました。

今は、派遣職員と正規職員に同じ仕事させて、正規職員にばかり優遇されているのは是正するべきだと思うけど、政界と財界がなぁなぁでやろうとしないでしょ🤨

経済界は法人税下げて、消費税増税しようとそればかりだから国民は怒った方が良いよねムキー


(安倍晋三さん、福田康夫さん、麻生太郎さんの時代)
安倍晋三さんは第一次政権じゃお腹の調子が悪くてかわいそうでした。

福田康夫さんは印象が暗くて人気なかったね。

麻生太郎さんは失言癖あったから、何なんだけどそんなに政策は間違ってなかったような気がする。

日本のコンテンツ産業を盛り上げるための施設(国立メディア芸術総合センター)を作るってアイディアは良かったけど、訳の分からないハコもの作って、国民から大批判されていたから、やっぱり説明が足りないんだよなぁ😁


(鳩山由紀夫さん、菅直人さん、野田佳彦さんの時代)
麻生政権があまりにも不人気で、世論も政権交代が必要となって民主党政権になりました。最初は民主党もまともな人がいるから大丈夫?と思いましたが、政権を取ったら左翼議員が閣僚の前面に出てきて、ヤバい感じがしましたガーン

それで、鳩山家の鳩山由紀夫が首相になったんだけど、史上最悪にして最凶の政権になりました。

鳩山由紀夫は橋本さんがあれほど苦労して決めてきた沖繩の基地移転をないものとして、国内に基地はいらないとか言い出したびっくり 正直、鳩山由紀夫は狂ってましたし、総理大臣どころか国会議員になっちゃいけない人でした。

菅直人も酷かった。原子力災害をさらに広めた元凶だし、ろくなことしなかった。

野田佳彦さんはマトモな人でしたが、ボクは民主党政権になって、左翼がいる組織は政権を取ってはイケナイと思いましたチュー

野田さんは、国会議員自ら身を正さねばならないと政治改革を安倍さんに約束させて身を引いたけど、結局約束は守られなかったねショボーン


(安倍晋三さんの時代)
それで、あまりにも民主党政権が酷すぎて自民党に政権が戻って、第二次安倍政権になるんだけど、ボクはアベノミクスは間違ってないけど、失敗だと思ってます。

それは、1番やるべきだった日本の付加価値を高める産業のイノベーションを果たせなかったこと。

結果的に、今でも次世代を担える世界のトップ企業はトヨタなど極わずかで、イマイチ芳しくなかった。

でも、安倍首相は歴代首相でもバランスが良い人で、まずは失業率を下げて人心の安定を図った。

成果はたくさんありましたが、ひとことで言えば安倍さんが仕切っているうちは安心感がありました😀


(菅義偉さんの時代)
菅さんと言う方はリーダーとしての能力は抜群で、不妊治療の保険医療化とか、携帯料金の値下げとか、インバウンド需要の増大による観光産業の振興、高齢者医療負担を2割に増大、新型コロナのワクチンによる対策など短期間に成し遂げたことは称賛に値すると思います。

にもかかわらず、解散権も行使できなかったのはかわいそうでした。

東京オリンピックは批判する人が多いけど、菅さんの前から決まってた話で、菅さんを批判するのはおかしいと思うな😀

時々、大阪万博みたいなハコ物事業を為政者たちはやりたがるけど、もう費用対効果が見合わないハコ物を作るのは止めた方がよい。

そんなのやるんなら、保育施設の建設や保育士さんの育成して、人口増を促す方がずっと良くないか?

(岸田)
こいつには、ボクは敬称付けたくないんだね🤨

国民の可処分所得を減らすことしか考えてないじゃん。そもそも、政治家じゃないんだよ。財務官僚の手先にすぎない気がする。

だいたい、「取りすぎた税金を国民に還元する」って何?

高いところから見下ろして、金をやるみたいな言い方じゃん。とにかく、岸田の代わり、そんなん知らんけど早く辞めてほしい。


(次の首相)
こんな総理大臣選んじゃった自民党は反省するべきで、次の首相も大変だと思うけど、まず増税を検討する前に行財政改革じゃない? 同時に次の時代に向けた改革をやらざるを得ない。

例えば、高齢者などの社会保障は、勤労世帯の負担を減らすべく対策を打たねばならない。なぜならば若い人の活力を増やさないと日本の没落は見えているから。

選挙は当分の間ないだろうけど、次の首相がそれできなかったら、自民党は下野した方がよい。