愛犬とのお別れを経て、
"一人暮らし大作戦"が現実味を帯びる。
しかしその時、
"きょうだい児"という課題が急浮上した。
ネットで黙々と検索してみると、
(あぁ、みんな苦しんでいる…)と知った。
同じ悩みを抱える者として私は何を、
言ってあげられるだろうと考えてみる。
私自身もきょうだいに対して、
言葉にしてはいけない様な感情を、
抱いていたけれどちゃんと、
"本当は良い子"だと分かっている。
悪態を吐かれると善性を疑いたくなる。
けど優しい心を持っていない人間なんて、
いないんだよなってしみじみと思った。
分厚い雲に覆われていても、
太陽はずっと変わらずに輝いている様に。
それなら、私は春風になってみようって。
怒鳴られたとしても澄ましていようって。
それは勇気だから。
魔性に屈しない正義の行動だから。
光が昇ればすべての闇は消えるから。
どれだけ綺麗な包み紙にくるんでも、
中身が毒なら喉の奥が焼けて爛れる。
「ありがとう」も「ごめんね」も、
『貴方の事が大嫌い』に聞こえるのだろう。
負の感情は隠しても必ず滲み出るから、
相手への嫌悪は最後に全部返ってくる。
無意識に無意識を傷付けられたら、
なぜ自分が寂しいのか苦しいのか、
分からないから喚くしかないんだもん。
家族は家族に暴力を振るったりしない、
家族は家族に殺意を向けたりしないから。
心の中から"家族"がいなくなっている事を、
一生懸命伝えようとしてくれてるんだよな。
"仲間外れ"は幼稚な我儘でしかない。
反省しないといけないのは私だった。
自分を信じてくれている人の前では、
良い所を見せたくなるのが、
人間の心理というものなのだと思う。
だから現状がどうであったとしても、
『貴方はかけがえのない存在です』と、
自分が態度で示すしかないのだと思う。
それは小さな行動かもしれないけれど、
どれだけ大きな変化になるのだろう?と、
想像してみたら少しだけ楽しくなった。
環境はまだ何も変わっていないけれど、
私の中から不安や恐怖は消えてしまった。
自分が素敵な人生を望んでいる様に、
きょうだいだって、
素晴らしい人生を願っている筈だから。
みんな笑って生きていけたら、
誰だって嬉しいじゃない。
理想を現実にするのは、私の心なんだ。
無限の可能性を信じる力が芽生えたら、
生命の底から智恵も勇気も湧いてくる。
どうせ…と諦めてしまったら、
どうしようもない…と枯れてゆくから。
幸福の種はどこかではなくて一人一人の、
心の奥で眠っているものなのかもしれない。
自分を愛して、他人を慈しみ、
美しい花をめいっぱい咲かせてあげたい。
私が生きてきた道がそのまま、
誰かの希望になります様に。