やなせたかしが「アンパンマン」を描いたのは、三島由紀夫の切腹を見たからだ、という考えがふと浮かんだ。片や腹を切る、こなた顔をちぎる。似たようなものじゃない?違うの?
でも、三島由紀夫事件とアンパンマンの出版、どちらが先?念のためちょろちょろしてみると…アンパンマンの初版は1968年。事件より3年も前か。妄想で終わりだってか、とがっくりしかけて、先を読んでみると…
1973年に出た絵本から顔をちぎって差し出すキャラクターに変わった、って、そんなら事件の3年後で、ああああああ…
1968年版のアンパンマンは、お兄さんみたいな格好で、自分で焼いたあんパンを、空を飛んで配っていた。それが1973年版から変わって、顔があんパンのキャラクターになったわけだ。
いろいろと詮索される手間を省くためにも、アンパンマン刊行の経緯を軽くまとめておいた。主にwikiを参照なのだが。
1968 「バラの花とジョー」や「チリンの鈴」に
アンパンマンが登場
1969 PHPのこどものえほん10月号にアンパン マンが単独で登場
1970 4月1日、 サンリオから「十二の新樹」を出 版
ここまではアンパンマンは人間の形をして いた。
1973 フレーベル館からキンダーおはなしえほん の一冊として「あんぱんまん」を刊行
1975 続篇の「それいけアンパンマン」を刊行
1976 73年刊の「あんぱんまん」を単行本化
我々が知っているアンパンマンの起源は1973年版からだ。もちろん1970年11月の三島事件の後だ。
してやったり。もちろん、だからといって直接の影響があったなどとは思っていない。やなせたかしにとって三島由紀夫は雲の上の人、事件もテレビか新聞で見たくらいだろう。
ただ、三島の言う正義とか武士道とかにはカチンときたかもしれない。やなせの思う正義と三島の武士道が折り合うわけは当然ない。
やなせのいう正義とは「ひもじい人を出さない」ことで、武士道とかは害にしか見えなかった。ましてや自衛隊を襲ってこれ見よがしに切腹するとは、どういうことか、と。
しかしすぐ忘れた。文学だ政治だという空騒ぎは、別世界のことに過ぎないのだから。やなせには仕事がある。ところがその考えは生きていた。
そもそも「あんパンを配る、力のないヒーロー」というのが前代未聞のキャラクターだった。あまり受けなかっただろう、と想像はつく。ただし掲載された雑誌が大人向けだったので、子供たちの目には触れていない。
それが「顔をちぎって食べさせる」というキャラクターに変化したのは、絵本向きにキャラを造型し直したのが大きいが、このアンパンマンは良識ある世間から顰蹙を買った。
世間がアンパンマンに驚いたのは、それがたぶん三島の切腹を連想させたからだろう。直に口にしないものの、あの時代錯誤な事件の印象が三年で拭えるものでもない。
やなせにしても、わざわざそれを折り込んだという意識はない。身を傷つけて助けてこそヒーローなのだという思想がアンパンマンとして表に出ただけなんだ、とずっと繰り返し主張してきた。
おそらくアンパンマンの正義観の対極に、やなせが想定していたのは、特攻隊だっただろう。身を傷つけているのは同じだが、中身は違う。
特攻隊が国家のためだったのと逆に、アンパンマンは庶民のために身を傷つけなくてはならない。アンパンマンは人々を悲しませてはいけない、というのがやなせの思想だった。
皮肉なことに、三島由紀夫は小説『英霊の聲』で、二•二六事件の青年将校と特攻隊員とを英霊に祀りあげ、それらの捨て身の行動を昭和天皇は無下に退けた、と告発している。アンパンマンの正義も「報われない」とやなせは言っていた。
二•二六事件の将校、特攻隊員、彼らに共感した三島。なぜかみんな報われていないのは、どうしたことか。
アンパンマンには、昭和の報われない者たちが、微妙にまとわりついている、だからあんなに人気を集めたのではないか、と思えるのだ。が、そんなことを気にもせずにアンパンマンは、今日も空を飛んでいる。

