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前回、老人施設で暮らしている父へのプレゼントの話でしたが、

今回は数年さかのぼって、父が脳梗塞の後遺症で車椅子生活になった時の話です。

 

 

脳梗塞の後遺症で思うように動けなくなった父は、耳も遠くなったこともあってイライラし、

娘の私にあたることがありました。

 

まあ、父にあたられても、そこは娘なので、

(動けなくなったから、そりゃあ落ち込むしイライラもするよね。)と

思えるので平気ですが。

 

それよりも私は、今まで元気に働いていた父が動けなくなったことがショックでもあり、

また情けない気分でした。汗

 

私達も、いずれ年を取り、体が動かなくなる時が来るという

リアルな老いの現実を見せつけられたようで受け入れがたかったのです。

今まで、列の後ろで控えていればよかったのが、戦場の前線に立たされたような

複雑な気分でした。

 

しばらく父の通院に付き添っていた際、

私は自分が不幸の気分に浸っているのに気づきました。

 

(私は今、何でこんなに不幸の気分に浸っているんだろう。

父は病気のことで気分が沈むことがあってもおかしくはないけど、

付き添っている私は元気だし、息子も成長して父をサポートできるのに。)

 

そのころ図書館で借りたリハビリ関係の本に体が不自由になった人でも

QOL(生活の質)を維持したり、上げることはできると書いてあったことを思い出しました。

 

(大変だとか暗さをまとうより、父が人生の残りの生活をなるべく楽しめるよう、

私自身が明るい気分で父に付き合おう。)

 

(病気をしていても、父の生活の一部でしかないから、

すべての時間を病気で暗く彩らなくていいはず。キラキラ

病気のことを忘れる時間があっていいし、

父はまだ雑誌を読んだり、好きな物を食べたりできるんだし。)

 

そのうち、父も私も片半身まひの不自由さを受け入れて

気持ちが前に進めるようになっていきました。

 

車椅子の父と娘ですが、人から見て楽しそうな親子に

見られたいなと思いました。

 

不幸な気分で車椅子の父を押していると、

グループで通路をふさいでいる人に怒れたりしましたが

(通路にいた人もただ、気づかなかっただけなんですけどねニコ。)

 

楽しい気分でいるように心掛けたら

車椅子が通る時に、前もって扉を開けて待っていてくれる人など、

協力してくださる方が増えたように思います。

 

今でも当時親切にしてくださった方のことが思い出され、

ホントにありがたかったし、感謝の気持ちでいっぱいです。ラブラブ

 

 

では、皆様にとってハッピーな1日になりますよう。黄色い花