「家系のブロック」とは「愛の勘違い」のこと | 斉藤つうりのブログ 『ブッダプログラム』

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週末の先祖供養セラピーについて、先週の長田先生とのクラブハウスでの先祖供養談義など、いろんな発信をしたおかげで、いろんな質問をいただいています(長田先生・ゆうかさん本当にお世話になります。いつもありがとう)。

 

家系のブロック、ということについて、ちょっと書いてみます。

 

どの家系もブロックを抱えています。

 

それは言い換えれば「家系のカルマ」と言ってもいい。

 

ここをみんな勘違いしやすい。

 

カルマというと「何か悪いことをしたツケ」という感じがして、

 

「何か悪いことをしたから、後の家系に悪い影響が出る」というモンギリ型の印象を持ちやすい。

 

そしてこういった家系のカルマ、あるいはタタリ、穢れといったものを扱う時の態度は、大きく分けて2タイプあります。

 

それは信じるか、信じないかという2タイプ。

 

家系のカルマを信じない、という人は、個人主義であり、自分という存在は独立した意識であって、理性と判断力によって現実を自ら生き抜いていると信じている。

 

そして家系のカルマを信じるという人は、依存的になりやすく、あらゆる霊的な「障り」、あるいはパワースポットなどに関してある意味盲目的に従ってしまう。

 

またこの延長線上で先祖供養を捉える人とき、それは「家系の影響なんか自分には関係がない」とするか、「家系の影響をなんとかしないと自分にも悪いことが起こる」としてしまうか。

 

どうでしょうか?

 

あなたはどっちのタイプでしょう?

 

私自身はどちらのタイプでもありません。

 

仏教の僧侶として私は「信じる、信じないではなく、自分の意識のありようについてとにかく検証を重ねる」というタイプです。

 

そしてまた私の寺では、三日に一度葬儀を行うほど檀家さんの数が多く、週末は4・5件の法事を行い続けています。

 

その結果私がたどりついた結論は

 

先祖供養とは

 

・悪いことをした結果やってくるツケを解消する何かではない

 

・タタリや穢れを払うというカテゴリーとも違う

 

・個人主義で信じないという人にとってこそ、先祖供養は役に立つ

 

である、ととらえています。

 

さて。

 

ちょっと前置きが長くなってしまったけど、

 

「家系のブロック」とは「愛の勘違い」のことです。

 

愛とはほんとうはとてもシンプルなものだけれど、それを表現するときに誤解を生みやすいもの。

 

この愛に関する誤解が、家系の中で連鎖しているのです。

 

たとえば無口で仕事ばかりしていて、家にほとんどいない父親がいて、その娘があなただったとしましょう。

 

そうすると、お父さんは自分のことを愛してなどいないのだとあなたは思っているかもしれない。

 

けれど、その無口なお父さんは、ほんとうはあなたのことを愛しているけれど、そのことをどう伝えたらよいかわからなくて、仕事や、お金でなんとか愛を伝えようとしているのかもしれない。

 

あなたはそんなことはまったくわからずに、愛に飢え乾き、ほんとうの愛はどこにあるのかと、様々な人や場所にでかけ、それを探しているのかもしれない。

 

とてもシンプルな例ですが、これが愛の誤解です。

 

これが親と子といった二世代間の話だったら、まだ解決しようがあるでしょう。

 

話し合いができるチャンスもあるかもしれない。

 

しかしこれが三世代、四世代と続いていることを想像してください。

 

家系全体の根底に流れる「愛の誤解の連鎖」。これが愛のブロックです。

 

そして愛とは家系に流れる生命エネルギー。

 

これが滞る時、家系全体に何かしらの影響がでます。

 

家系で繰り返す疾患や、離婚・引きこもり、自殺。

 

こういったものは、たしかに家系で連鎖します。

 

しかしそれは「何か悪いことがあったから、タタリや障りがあったから、起こり続けていること」ではありません。

 

愛の誤解により、家系全体が生命エネルギーが滞ったために、起こることであり、

 

さらにいえば、家系で繰り返す疾患や、トラブルなどは

 

「愛の表現を見出すための大切なメッセージ」

 

とも言えるものです。

 

その仕組みが読み解けた時、先祖供養の本当の意味がわかり、愛のエネルギーが一気に家系に流れ出す。

 

その結果、

 

「私はこれまでも愛されてきたし、いまこの瞬間も愛されている」

 

ということが、頭ではなく、心の深いところでわかるようになる。

 

先祖とは死んでしまった誰かのことではなく、自分の心の奥にいまこの瞬間も生きているもので、すべてが愛の連鎖によってつながっているのだと。

 

そして

 

「ああ。自分っていままで愛に関して、めっちゃ誤解がありまくったんだなぁ」ということがはっきり見えるようになる。

 

 

つまり何を言いたいかというと

 

先祖供養とはタタリや穢れを払うといった、ネガティブな中世的思考に基づいたものではなく、

 

自分自身の今この瞬間の現実と心のありように関係するものだ、ということを言いたいのです。

 

 

もしよかったら、以前の動画をご覧ください。

 

長く話すべきところをかなりまとめて話してみました。

 

 

 

 

 

そして今週末、先祖供養セラピーワークショップです。

 

2021年の今、私たちはコロナによってとてつもなく「内向き」な意識を持っています。

 

やや宣伝めいていますが、私にとってこれは

 

「誰しも一度自分自身の内側とつながる時期であり、愛の源である先祖と出会うことができる時期」

 

 

と考えています。

 

 

オンライン開催ですから、ご自宅から参加できます。

 

そしてまた後日ストリーミング配信で、内容を追うことができますので、リアルタイム参加が難しい方もどうぞご安心ください。

 

 

 

 

先祖供養セラピー 3月27日(土)開催

3月27日(土)・28日(日)
10:00〜18:00
オンライン開催

家系のブロックを解放し、無限の愛の源とつながる。

先祖とは既に死んでしまった人達のことではありません。
それは今、この瞬間も私たちとつながり続け、人生を動かしている「家系の血脈のエネルギー」のことです。
あなたが意識を拡大し、葛藤を解放してゆく時、心の内側に住む先祖たちと出会い、彼らと共に葛藤を解放することになります。
そして家系の流れの中心となる「祖霊」とあなたがつながった時。

その血脈が培ってきた本当の財産は「無限の愛の源」なのだと、あなたは知るでしょう。

このワークショップは


①  あなたの家系の流れとブロックを認識し
②  先祖たちの総体である「祖霊」が、何を望んでいるかを知り
③「祖霊」とつながり、エネルギーの滞りを解き放ち、生きる力として使っていくという2日間のワークショップです。

 

現代の日本に広がる西洋圏を中心としたスピリチュアルな教えで、「先祖」について重要視する教えは、それほど多くありません。
また現代の日本の文化では、地域や家という役割から脱した一個人としてのアイデンティティが発達したため、「死んだ後は、墓ではなく、散骨を希望したい」などという声を私もよく耳にすることがあります。
私は寺に生まれ、僧侶となり、いわば先祖供養の臨床としての「生の」先祖たちとたっぷり関わってきました。
また現在スピリチュアリズムの講師、アカシックリ-ディングやヒーリングなどの個人セッションを通じて、個人がどのように葛藤を解放し、覚醒へとむかうのかというプロセスの現場で、これまたたっぷりと携わっています。
そして既存の宗教と、スピリチュアリティの二つの立場から先祖供養の本質とは何なのかについて、30年以上の考察を重ねてきました。
 

その私が先祖供養に関して、たったひとつ明確にお伝えしたいことは
「こんな大きな財産を見逃す手はない…!!」ということ。


そのことを伝えたい一心で、この「先祖供養ワークショップ」を私は開催しています。
このワークショップでは、皆さんがよく知っている供養の習慣などの裏側にある、「実際、先祖や死者たちはどのように私たちと関わりがあるのか?それがどのように私たちに影響するのか」という観点から、私たちがどのように先祖供養という、大きな大きな財産を、現実に活かすことができるのかということについて、お伝えしています。
ワークとして、実際に先祖や亡くなった方の意識とつながり、彼らが何を「本当の意味で望んでいるのか-?」ということとつながっていきます。
また一日の終わりに、法要式の形式を使い、家系の滞ったエネルギーを解き放ち、無限の愛の源である祖霊とつながるワークを行っていきます(注)。

 

注:このワークショップの目的は、仏教の既存宗派の教えや、他の宗教の先祖供養の考え方や方法を否定することではありません。
各々の宗派、宗教の先祖供養の方法を含んだ上で、新しい視点を提示する目的で行われます。

 

 

 

 

詳細・お申し込みはHPまで↓