
命に嫌われている
毎年、一年間のアカシックレコードの情報として、YouTube動画を公開している。
今年は「お金が消える一年」というテーマについて話した。
その内容のなかで「命に嫌われない生き方をする」というキーワードを使ったのだけど、この言葉には元ネタがある。
10歳になる息子が『命に嫌われている(カンザキイオリ・2018年)』という歌を最近気に入っていて、車での移動中ではこの歌を1曲リピート・無限再生でかけろ、と言われているのだ。
そんな契機で私もこの歌をしっかりと聴くことになった。
私は昔々、ギターと歌をやっていた。ボブディランのスタイル-どこにも属さずに、世界を外から観察する歌-に憧れた。
とりわけ詩をメロディに乗せることで、その詩の力を増幅させる、というやり方が好きだった。
そんな経緯もあって、私はどんな歌でも歌詞を聴く。
この「命に嫌われている」という歌の歌詞は、批判的で毒がありつつも、たしかに現代を生きる私たち(あるいはこの歌を聴く世代の人たち)の心の真実のようなものを捉えている。
(ここまで読んでみて、歌に興味を持った方はぜひタイトル検索をして歌を聴いてほしいと思う。その前提で以下を読んでもらうときっと文面がすんなりはいってくるはずだ。多くの歌い手が歌っているが私は「まふまふ」という歌い手が好きだ)
ざっくりと歌の内容を書く。
☆
命を大切にしろ、という言葉はとても嘘くさい。
現状の私たちは、ネット社会のなかで、軽々しく誰かを批判し、死の呪いを簡単に吐く。
そして自分が死んでしまってもどうでもいいくせに、身近な人が死ぬのは困るという自己矛盾を抱えている。
どうすれば幸せになれるのかもわからず、過去や環境を憎む。
出会いの意味すらわからないので、本当の別れなど体験しているはずもない。
そんな私たちは命に嫌われている。
☆
以上がこの歌の大まかな内容である。
まずこの歌の「命に嫌われている」という言葉に担わせたニュアンスが興味深い。
この歌で繰り返し使われる「命」という言葉は、個々人に宿っている「命」のことでもあるのだけど、歌全体を捉えてみると「宇宙全体に遍満する、全体としての命」という意味合いを持たせている。
それは西洋文化的な個人主義としての命ではなく、日本の自然観に基づいた命のとらえかたに近いように思う。
そのため歌で使われている「命に嫌われている」というフレーズは、言葉からシンプルに想像しうる「自分自身の命を大事にしていない」というニュアンスよりも、「自分を含む、宇宙全体に遍満する命の本質的な扱い方を私たちは忘れてしまっているのではないか」というテーマを伝えているように感じられる。
さて、ここからはアカシックレコードの今年のテーマの「お金が消える一年」と「命に嫌われている」という言葉の関係についてである。
すごくシンプルに物事を捉えてみると、私たちが生きやすい世界とは「命に嫌われない仕組みに基づいた世界」であるはずだ。
その逆に、私たちが生きにくい世界とは「命に嫌われている仕組みに基づいた世界」ということになる。
この「命に嫌われている」という感覚は、今後の私たちの方向性を示唆する大切な言葉なのではないか。
そうした意図から、今回はこの言葉を動画のなかで引用した。
著作家・コンサルタントである山口周氏は「高原社会での課題は「エコノミーにヒューマニティを回復させる」こと」とコメントしている。(引用元https://presidentstore.jp/category/BOOKS/002393.html)
ここまでの歩みを進めてくる中で私たちの社会は、経済性から人間性を排除することで、その拡大を最優先にしてきた側面がある。
その目的は「安心安全に生きていくこと」にあった。
土地を確保し、水と食料を確保し、子供を安全な場所で育てる。
まずはそこが達成される必要があった。
そのような状態では人間性と経済性は両立が難しかった。
だからこそ、軸足を経済性へ置くことで、まずは社会の地盤を固めた。
そして、ある程度の段階を過ぎ、あるいはマズローの生存欲求の段階を通り抜け、私たちの集合意識は軸足を人間性へと戻しつつある。
現代のお金は人間性が排除されやすい構造を持っている。
なぜならシンプルな金額の数字には人間性は反映されないからだ。
しかし、そうした理由からこそ、未来の経済は、人間性が反映されたものへと近づいていく。
つまり「未来のお金」は、私たちがこれまでに知ってきた「お金」とは、まったく異なる様相を帯びることになるだろう。
そして私たちが知っている「お金」は消えていく。
一見すると、お金が消える世界や、人間性と経済性が両立する世界は、青年期の理想主義に満ちた夢物語のように映るかもしれない。
けれども、「お金が消えて、誰もが生かし合う世界なんて、現実を知らない人の妄想だ」と安易に信じてしまう私たちは「命に嫌われていること」にあまりにも慣れてしまったのかもしれない。
私たち日本の根底には「もののあわれ」という感受性に満ちた思想がある。
それは命とは固定的なものではなく、支配や所有できるものではなく、儚さやうつろいゆくすべてのなかにあらわれるということ。
そしてその命を支配や所有ができないからこそ、そこに美しさがあり、心が動かされる。
だからこそその命には直接名前をつけることをしてはいけない。歌などの比喩・間接表現でしか命をあつかってはいけない。
それがもののあわれの本質だ。
私という人間はとても多くの問題を抱えているし、そのことで随分と周りの人たちは苦労してきたと思う(たぶんいま現在もそれは続いている)。
それは私という人間の基本的な構造の問題でもあるのだろうし、幼少期や過去世の問題もそこにはある。
その上で私がもしも自分の人生として大切にしてきたものを挙げろと言われたら、私は「命に嫌われない生き方」を選択してきたと言いたい。
私がこの世界に対して、あるいは社会で働く人々に対して、一番違和感を抱える点は「経済性と人間性は両立できない」ということを、なぜそんなに簡単に受け入れてしまうのかということだ。
私はいま48歳であり、中年と呼ばれる年齢となった。寺を離れ、社会に出て、会社を立ち上げ、活動をし、いまでは寺の運営と地域にも携わり、二つの法人を経営している。
もちろん経験としてはまだまだであり、まったく足りない面もあるし、組織としても小さいし、現状としては失敗だらけだと思う。
痛い目もたくさん見てきたし、「裏切り」と一般には呼ばれる行為を受け、傷ついた経験もある(性格上、立ち直りは早いのだが)。
自分がもっと優秀だったなら、周りの人たちはここまで迷惑を被らずに済んだのではないかと、心から謝罪したい場面は、今でも毎週のようにある。
けれど私は「命に嫌われる生き方」を選んでいない、という点においては一貫している。
そして経済性と人間性をどうやって両立できるのかを日々模索し続けている。
その上で、私は確信している。
お金が消えた後、私たちは再びこの「もののあわれ」の感覚に戻る。
命とは管理ができるものではない。
同時に、私たち自身も誰にも所有される存在ではない。
命の扱い方そのものが、社会の中心に置かれる時代が来る。
移ろいゆく世界の中で、何に心を動かされ、何を大切にしたいのか。
その問いを一人ひとりが引き受けるとき、経済は単なる仕組みではなく、人間の生き方そのものを映す場へと変わっていくはずだ。
そして、もしも命が管理され、支配されるなら、私は真っ向からそれに立ち向かうだろう。
命は役割でもなければ、数字でもない。
命には名前をつけることすらできない。
管理された命や、名前のつけられた命は、偽物だ。
命に嫌われた世界は、滅ぶ。
そして、もし私たちが今、命に嫌われているのだとしたら。
どうすれば「命に嫌われない道」を歩むことができるか。
その問いを、目の前の一歩として引き受ける必要があるのだろう。
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