土砂災害が起きれば メガソーラー叩きが始まる

 

電気自動車が爆発すれば EVへの不信感が肥大する

 

メルトダウンすれば 原子力が諸悪の根源と唱えだす

 

 

当初から問題点を訴え続けていた人間にやっと日の目が当たる瞬間である

 

 

 

「初めからなんとなく良くないとは薄々思ってたよ」 

 

 

 

という そもそもそんな曖昧な感情を抱いていたのかどうかも定かではない人々が

一斉に突如声を上げて 面白おかしくメディアが取り上げ やがて大きな波へと発展する

 

それが結果的に良いものか悪いものかという事を論ずるのは今回の目的ではない

 

 

世間とは不思議なもので

 

声が大きい者を無条件で受け入れて 

「そういうものだ」「それが最善だ」と 個人で検証する事も無く受け入れる人が圧倒的に多い

 

何か起きてから 時勢が風向きを変えてから その変化を確実に自分の感情と合致するという確信を得てから

やっと発言する

 

私はそんな後出しじゃんけんで優越感に浸っている人間をずっと軽蔑していたし 臆病者だと思っている

 

 

しかし 単純に

 

 

私が思う以上に 世の中は  「面倒臭がりや」な人々で回っているのだ

 

 

いちいち真剣に検証して受け答えしていると馬鹿をみる経験をした事がある人は多いだろう

 

 

自分の意見を言葉にし、誰かに伝えるということは簡単な事ではないが

 

そもそもそんな事に労力を費やせる余力がある人間が少ないのだ

 

 

「なんとなく思っていることはあるけど 面倒臭いから黙っとこ」

 

という勢力が 世の中の殆どを占めている

 

 

そしてやっと 大きな事件が起きて 「ちょっと言ってみようかな」という気になるのかもしれない

 

 

本来 そうでなはい世の中であるべきだが 現実は そうではない

 

 

何かが犠牲にならなければ人は動かないという悲観と同時に 希望も可能性も捨てきれないのが本音である

 

自分は自分として 生きたいものだ