「にしもない」盆踊りと読むようだ。地名の音からして民俗の匂いがして大変好ましい。古モンゴロイド系言語の音のようにも思える。別名を「亡者踊り」だとか。

今夕から3日間、秋田県雄勝郡羽後町西馬音内で、その盆踊り大会が開催されるという。

一昨日の夜「何かを感じると思うよ」と薦めていただいて早速スケジュールを検討したのだが、今年は行けない。とても残念だ。

来年の8/16~18は月火水なのだが、必ず1晩でも行こうと決めた。馴染みの18きっぷの時期でもあるし。

どんな事情があるにせよ、行けない、行かないというのは私自身に行く能力が無いということだ。私には西馬音内盆踊りを見るために必要な何かが無かったんだろう。単に準備期間という問題もあるが、タイミングを超えて尚進むという力が無かった。

内圧を高めるのに少し時間がかかってしまったのかな。東京でのワークショップに参加を決めたときは知ったその日に申込みから宿の手配まで完了したものだが。

さて、その盆踊りについて情報収集しているうちに、配信されている踊りの様子を映した動画に出会った。気持ちが抑えられずについ観てしまった。

この世ではない。

というのが動画を観た感想だった。現地に行ってみないことには、それを常世と思うか、それとも三途の川の向こうと思うのかは、わからないけれど。

もともと盆踊り自体が亡者との交歓だから、この世だけの祭りでは無いのだろうが、それにしても、何だろうかあれは。

今夜は稽古に出掛ける。けれど来年の今夜、私はこの世ならぬ場所に立っているはずだ。

そんなことを考えていると、やっぱり、生きていくことの意味を識る。

教えて下さった方は、つくづく大恩人だ。吉とし福として感謝しよう。
今年はお盆に実家に帰らない不孝者なので、祖先について考えてみることにした。

ところで考と孝と老という漢字は似ているなあ。何れも土の中に埋蔵された人型のものから何か出てるような作りだ。大地と精神、本質から醸し出されるものによって結びが成る。てな感じ。何だか踊りのことを言っているみたいだ。そしてやっぱり最近の私は土にハマっている。

私の遠い祖先は自然のなかに溶けているはずだが、近頃は壷と石の間に入って溶けきれない部分もある。存在の証を残すためなのだろうか。そんなものが無くても愛せるのに。まあ確かにその人が存在していたから、この愛が狂気ではないのだと安心できることも、時には必要なのかな。

宗教という、精神安定システム上設定された、祖先の在所としての墓。会いたければ、そこにいる、しかも全員集合。というシンプルでなかなか便利なものではある。自然に溶けていると言われても、漠然としててどうすりゃいいかわからないというのもあるだろうし。

でも私は今日、こんな青々とした大気や土壌に、長い時間をかけながらまるごと溶けて馴染んだ祖先を思う。

災害や疾病、戦火や悲喜こもごもの人生を乗り越えて、無数に連なる命が、こうして私に届いている。そして、いまや祖先は自然のなかで私の命を延ばし伸ばし育んでくれている。時折植物の一部になって風に揺れていたりもするんだろう。私の体のどこかにもいるかも知れない。すごい。すごいぞご先祖さん!

そう、ご先祖さん
本当にありがとう。

今日は良い天気ですね。
突然だけれど、一週間前から笛を吹いている。FIFE(ファイフ)という横笛練習用リコーダーだ。見た目は、昔懐かしいソプラノリコーダーをまんま横笛にした感じ。色も素材も、これまた懐かしいラクダ色というかベージュのプラスチック?製品だ。

ファイフは優等生のようでいて、どこか間が抜けた雰囲気がある。エリートには成れない半端な感じだが、愛せるなあと思う。

ところで「らくだいろ」を変換しようとして「落第路」と出る私の端末のセンスにおののいた。その道を、私は割と踏み外さずに生きている。ドンマイドンマイ。

今日の稽古場は、床が板張りで動きやすいところだったので、重心トレーニングのウォーミングアップと四つ脚歩行、四つ脚加速を自主トレで実施した。何だか体が少し軽く感じた。どこか楽してしまったかもしれない。

そう言えば、壁逆立ちからの反転を試そうと思っていたのに忘れていた。そのために今日の稽古着を選んだのに。ニワトリに敬語使おうか。

その後、相棒と合流してファイフで一曲勉強した。私は楽譜が全く読めないうえに、不器用で運指が非常に覚束ない。特に小指と薬指の仲が良過ぎて困る。でもできないことは無さそうなので、体で覚えるまで毎日の反復学習を決心する。

ローリングストーンズとビートルズとブルースと民族音楽、というような話をし、また学ぶことと雑草というような話もして発声のメンテナンスをする。

私のやる舞台には物語性はあまり無いのだか、声を発することはある。一種のノイズのような、パルスのようなものとしての声とか。もしくは痙攣する言葉や会話とか。意味を持ちそうなツールだからこそ、意味を超えやすいという特性もあるんじゃないかな。改めて言うようなことでも無いか。

最後に私が高校のときに聴いていて、今また聴き直しているアメリカのバンド「LOVE」の二枚組CDの一枚目だけを相棒に貸して、お返しに二枚、音源を貰う。bossaとサントラ。

今日の稽古は、こんなところでした。