別子銅山-「筏津坑」と 「筏津坑」 | わたしの 畑

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別子銅山-「筏津坑」と 「筏津坑」

昨日 別子山の「エドヒガン桜」のお花見の帰り
筏津に立ち寄りました。

筏津は大きく様変わりをしていました
閉鎖中の「筏津山荘」が取り壊されていました。
庭の池も 全く無く 更地になっていました
家族で花見に興じたり 同級会で宿泊したりと
思い出の多い所でしたので残念です。
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「筏津坑」はそのままで 残っていたので安心しました。
今まで坑口に筏津山荘があったので 坑口の全容が撮影できなかったので
今回 じっくり撮影してきました。
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何をいまさらと お思いでしょうが 
この1枚が 私にとって 大きな1枚なのです

下記の写真は「筏津坑」として紹介されている1枚です。
鉱山史別巻_028ページ _筏津抗明治15年ごろ 
 住友鉱山が発行している本です。
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今の筏津坑の坑口にもこの写真の看板が立てられています。
私が疑問に思っているのは
上2枚の坑口は「全く別物」と思っていました。
今回 よく見比べると 違いますよね。
明治の写真は坑口の後方に山が迫ってきているのですが
現代の坑口は山がはるか後方に見えます。

明治15年頃の筏津坑の写真は
筏津西走り坑 の上部 今の県道のすぐ上にあった
坑口ではないかと思っています。
県道拡張工事と林道工事で破壊されたのではないでしょうか。
1966年の筏津 赤丸あたりに坑口があったようです。
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