別子銅山-旧別子-案内板-木方吹所と裏門

通称パイプ橋と言う所です。
橋を渡ると歓喜坑・歓東坑などを通り銅山越に行く
まっすぐ行けば目出度町・大山積神社・
蘭塔場の下を廻って 橋を渡ってきた道と合流します
道標にはどちらも銅山越まで50分と書いているが
橋を渡ったほうが楽です。

橋を渡ると歓喜坑・歓東坑などを通り銅山越に行く
まっすぐ行けば目出度町・大山積神社・
蘭塔場の下を廻って 橋を渡ってきた道と合流します
道標にはどちらも銅山越まで50分と書いているが
橋を渡ったほうが楽です。

(全文)
木方吹所と裏門
明治20年頃の木方吹所(製錬所)を南側から見上げた風景である。
中央左寄りに土橋があり、その右下で谷が分かれている。右が
足谷川で左の方を奥窯谷という。足谷川に面して右の山側に建
ち並ぶのは木方吹所である。この時点では高橋製錬所よりもこ
ちらの方が産銅量は勝っていた。
右上から斜めに箱樋が掛り、その左で白煙が上がっていると
ころは明治13年から生産が始った最初の湿式製錬所(沈澱銅)
の施設であろう。
左の巨大な両面石積の向こうは木炭倉庫で、その真上にも石
積が天に突き出している。当時の和式製錬では1トンの銅を作る
のに4トンもの木炭を使っていた。木炭は食糧に次ぐ貴重な物で、
従って銅蔵や木炭倉庫の建ち並ぶ鉱山の心腱部の入口は石垣や
柵で厳重に囲まれていた。因みにこの辺りを裏門と呼んでいた。

木方吹所と裏門
明治20年頃の木方吹所(製錬所)を南側から見上げた風景である。
中央左寄りに土橋があり、その右下で谷が分かれている。右が
足谷川で左の方を奥窯谷という。足谷川に面して右の山側に建
ち並ぶのは木方吹所である。この時点では高橋製錬所よりもこ
ちらの方が産銅量は勝っていた。
右上から斜めに箱樋が掛り、その左で白煙が上がっていると
ころは明治13年から生産が始った最初の湿式製錬所(沈澱銅)
の施設であろう。
左の巨大な両面石積の向こうは木炭倉庫で、その真上にも石
積が天に突き出している。当時の和式製錬では1トンの銅を作る
のに4トンもの木炭を使っていた。木炭は食糧に次ぐ貴重な物で、
従って銅蔵や木炭倉庫の建ち並ぶ鉱山の心腱部の入口は石垣や
柵で厳重に囲まれていた。因みにこの辺りを裏門と呼んでいた。

(写真)
「旧別子の面影」 別子奥窯付近の炭倉及木方吹所を仰ぐ
「旧別子の面影」 別子奥窯付近の炭倉及木方吹所を仰ぐ
