最近、やっと中国に来て制作らしい制作を始めた。


以前のブログで書いたように、ドアを5枚買ってきて

それを並べてその上にペタペタ、ガンガンとミクストメディアをしております。


気持ち~ったらありゃしない!!


パンイチで音楽ガンガンで汗かきまくりで、まさしく人外の者と化して暴れてます。


近隣の平穏な高級住宅暮らしをしておられる中国人の皆様、大変申し訳ございません。


「絵を描く」、「物を作る」、

という行為を本格的に始めたのが18才の夏から。


サラリーマンになりたくない

     ↓

勉強が出来ない

     ↓

横文字の職業がいい

     ↓

モテるのがいい

     ↓

物を造る事が好き

     ↓

デザイナー!!??


ってことで、美術予備校に通う事にした。

「近いから」ってことで江坂にある代々木造形専門学校へ。


チョーお勉強大好き高校を朝のホームルームで「予備校行きます」ってボイコットし、

制服のまま朝から予備校に居た。


なぜか?度肝を抜かれたわけです。舐めてました。完全に。

予備校では授業の後、全員の作品を壁にズラッと並べるわけだが、

どう見積もってもおれのが一番へタだ。ちがう、何て言うか一番カッコ悪い。

こんな事が許されていいのか?

百何人いる中で一番気持ち悪い絵を描いてるのがおれなんです。

自分で選んだ事すらまともに出来ないなんてクズもいいトコだ。と思い、死ぬ気で描いた。

(このせいで高3の夏以降は高校生活の記憶がありません。どうやって卒業したんだ?)


描いて、描いて、描きまくった。鉛筆乗せ過ぎで画用紙が破れて台の木面が見えるまで描いた。


それでも、一番カッコ悪かった。一番下手だった。


それから、「創造する」ということと自分との戦いが始まった。


浪人になってからはモチーフを描くのに一番よい場所を確保するために始発に乗り、

学校が開く2時間前から門の前に座り込み鉛筆を削った。(力み過ぎのおれはすぐ鉛筆が折れる。)

夜は、警備員に追い出されるまで書き続けた。


「良い絵が描きたい」


その頃の俺の頭にはその言葉ばかりが繰り返されていた。


いつの間にやら、デザイナーになる!カッコいいから!などと言う、妄想は消し飛んでいた。


「美大に合格する」

という目標は今ではもう無いが(当時から足りなかったかも)、戦いはまだまだ終りそうに無い。


逆に、絵を始めてから今までで覚えてしまったくだらないテクニックや技巧を捨てることが本当に難しい。


ちゅーか~この戦いから降りたらワシは死んだも同じじゃけぇ。


これからも、世の中に何のためにもならない無駄な物体を制作し続けます。


ごめんなさい!下の階の御老人夫婦!

(騒音のため一度文句を言いに来て、おれのあまりにも人間離れした顔と

                    汗だくでパンツ一丁の戦闘モードを見てから二度と来ない。)


夜中はなるべく避けます。