私は何故、今、中国にいるのでしょう。


日本から出る前は、


とにかく、知らないものが見たかった。


行った事の無いところへ行きたかった。


他の連中がやってないことがしたかった。


中国に来て一年が経った今、わからなくなってきた。



日本に居た時のほうが、おれは自分に対して、ちゃんと向き合っていなかったか?


日本に居た時のほうが、必死に毎日を送っていなかったか?


日本に居た時のほうが、生きるのが辛くなかったか?


日本に居た時のほうが、創作、自分の作品に、真剣ではなかったか?



私が一番好むことは、必死で居られること。


ぬるま湯につかって伸びきっている自分が一番嫌いだ。


と言うより、そういう毎日は不安で不安で仕方が無い。


このまま、終ってしまうのだろうか?


私は、これ以上、上に行けないのだろうか?


もう、前に進めないのではないだろうか?


もう少し、ましな存在になることは出来ないのだろうか?


もうこれ以上、私という人間は大きくなれないのだろうか?


焦るんだ。


中国の片田舎の小さな街にバックパック一個でやって来て、


たくさんのことを学んだ気がする。


今となっては仕事もあり、部屋もあり、

給料もこの街で暮らすのには十分な額をもらっている。


それなりに恋愛もし、たくさんの新しい友達が出来た。


仕事はそれなりにやりがいがあるし、面白味もわかる。

たまに怒られもするが、ちっちゃい事だ。


そんなことはどうでもい。


一番怖いことは、つまらない人間に固まってしまうこと。

止まってしまう事。

走れなくなってしまうことだ。


今まで出会ってきた人間で、「おれは絶対こんなくだらない人間にはならない」

と、見下してきた連中と、自分はさして違わないんじゃないのか?


それを、自分で認めてしまいそうになる。

中国と言えど、仕事、社会の中に入って揉まれていると、

トロトロの液体だったはずのおれが、プラスチックの安っぽい型に入れられて、

冷蔵庫の中でどんどんどんどん固くなって、

知らないうちに、自力で型から出られなくなってきてるんじゃないかと、


怖くなる。


そしてたまに、それを肯定してみたりしたくなる。


日本に帰って、適当にバイトでもしながら

絵を描いたり、写真を撮ったりしている方が

自分にとってプラスになるんじゃないか?


中国に来たのも、絵や、創作から逃げるためなんじゃないか?


なんていうか、中国に来て、変態じゃなくなった気がする。


前より、周りに合わせることに無理がなくなってきた気がする。


これがとても自分にとって嫌なことのような気もするし、


目標を成し遂げるためには必要な気もする。


わからないんだ。


でも、なんだか、いやなんだ。


東京から、大阪に戻る決断をした時もそうだった。


東京にいる。作品を作っている。


それだけで、満足している奴らと一緒にいるのが嫌だった。


どこに居ても、何をやっていても、満足、慣れ、普通、


そういう倦怠感に包まれていると、本当に焦る。


逃げ出したくなる。叫びだしたくなる。


違う!


違う!


ここじゃない!


もっと上だ!


上なんて無いのかもしれない、


どこまで走っても同じなのかもしれない。


でも、止まる事だけは嫌なんだ!


走らずにはいられないんだよ!