言葉が通じない国でのいきなりの一人暮らし生活。
これは予想以上に大変だった。
まず、朝起きて何を食べていいのかわからない。
皆が買って食べている物がどこで売っているのかわからない。
みつけても、どうやって買えばいいのかわからない。
通勤で迷っても道の聞き方がわからない。
同じ作業着は何日着つづけて平気なのかわからない。
食堂で、三杯目をお代わりしていいのかわからない。
どれがおいしいのかわからない。
野菜は残さないほうがいいのかわからない。
作業にどれだけ頑張ればいいのかわからない。
トイレの紙はどれくらい使っていいのかわからない。
どれくらいのトイレの臭さが普通なのかわからない。
これすなわち、「普通」 ってものがわからない。
「標準」 ってものがわからない。
これは、「恐怖」 だった。
自分が、「みあたらない」。
周りに合わせたり、普通なのが大嫌いで、
浮いていたり、変といわれたり、アホだといわれたり、変態だといわれたり、
そういうポジションを日本では守ってきたつもりで、
それは、全ての価値観は自分で洗濯し、判断し、大衆意識を遮断し、
確固たる「自分」を作り上げてきたつもりだった。
ただしそれは、「誰かと比べて」 だった。
それの、モロいことモロいこと ショボイことショボイこと
対象がない、比較が出来ない、
存在は他者の意識の中の自分でしか認識できない
わからない
なにが?
感じられない
なんで?
ない
どこに?
わからない
でも
なに?
ない
なんで?
なにが?
どうして?
どうする?
だれが?
いない?
ん?
部屋をフリチンで何往復もする
まばたきをずーっと数えたりする
水を5リットルくらい飲んでみたりする
オナニーを4回くらいしてみたりする
カーテンに巻きついてみたりする
台所のシンクに入ってみたりする
一人二役で演技をしてみたりする
マユゲをたべてみたりする
こんな夜が3~4週間続いた。
その間考えつづけていたことを形容する言葉は後で知った。