佐賀国国医者の養子となった、佐野常民(つねたみ)

 が、幕府の使節団として、パリ万博1867年に入ったとき

 パリでは同時に、国際赤十字会議があり、当然日本や清国の

 参加はなかった。戊辰戦争を経て、佐野の思想がどう形成されたか、

 西南戦争に際して、博愛社を結成し、38人の同士中1名が薩摩兵に斬られた。

 日本赤十字社に発展し、日清戦争の苦難に多く死んだ。赤痢。

  三陸津波に出動。  
 
 今日の、日本赤十字社の活動は、献血車もある。

 NHK そのとき” ほか参照。