14:00-15:10 甚目寺町中央公民館大ホール 無料


甚目寺町人権教育調査研究委員会制作
劇団名古屋 協力

 


制作・・・もう少し柔らかい委員会名には、ならんものか[m:60]。
しゃっちょこばった言葉を繋げて、ワザと人が寄り付き難いようにしてる名前だよなぁ。
と、言うことはさておき。。。


我が母校五条高校への、懐かしい?通学路をスクーターで走りながら、
記憶が、、、あまり戻ってこないのは、随分と変わっているからか?
時が経ちすぎているからなのか?
周辺の田んぼは変わってないけど、ねぇ[m:242]。


【ストーリー】
甚目寺の中学校に通う2人の女子中学生。
自由研究として、ハンセン病に詳しい先生に話を聞いてみなさい、先生に言われ、
しぶしぶ聞きに行き、その実際を目の当たりにする。
その話をしたのは、小笠原登先生を師と仰ぐ大谷藤郎博士。


昔から不治の病と恐れられた感染症。らい病、らい、ハンセン氏病、と様々に呼ばれるハンセン病。
ハンセン病患者を自分の寺で診ていた僧侶であり医師でもあった祖父の影響もあり、
小笠原家の次男として生まれ医学の道に進んだ登。
ハンセン病が感染力は弱く、健康な大人には感染しないことを実証し、学会でも主張するが、
戦争の影、政策「らい予防法」、症状が見た目に及ぶ事からの民衆の恐れ、様々な要因から異端児扱いを受ける。
そして、ハンセン病隔離政策によって、診断された患者は、収容施設に隔離され一生そこから出ることはできなかった。


そんな時に、自らの診療所で、診断書には皮膚病、神経症、もしくは空白のカルテを書き、
患者を収容所送りから救い、自らの主張を貫き通した小笠原登、という医師がいた。


舞台は、立て板が4枚。様々に動かして、様々な場所を表現。
診察室の壁、風呂の入り口、等など。
中央は2段階に高くなっている。
診療所の時には、診療机とイス、診察台。


地元の演劇をした事のない人たちを交えて、地元出身の偉人を描いた物語。
殊更、情に流されず、淡々と人生と事実を描いていて好感が持てる[m:50]。
小学校の時に読んだ伝記小説の雰囲気。
前半は、ハンセン病の事、差別、時代の空気を、
後半は、小笠原医師の、シンドラーのリストや杉原千畝の命のビザと同じ重みのある空白のカルテ、そしてハンセン病の実際を描いて、暗くならずにテーマソングで終演。


終演後、大谷藤郎博士の娘さんがメッセージを代読。
観客も一緒に、テーマソングを合唱して終幕となりました。


中学生役の2人。。。元気で、良かった[m:50]。ちょっと早口だったけどね[m:242]。
それも、現役中学生らしくって面白かった[m:87]。


開演前に、パンフレットを読んでいたら劇中のセリフがそこかしこに。。。
終演後にお読み下さい、としたほうが良かった気もします[m:242]。


べっきーさんから、最初、あんまり人が集まらないから一緒に出ませんか?
などという、冗談めかしたお誘いもあったりして。。。[m:206]
結構大きな劇場。
出演者の緊張感が、結構伝わってきた[m:60]。
コロスの人たちの手が震えていたし、表情も硬い。。。そりゃ、そうだわな。
その分、終演後の充実感は素晴らしいものが、あるのだろう、ね[m:242]。


国が控訴断念をしたのが、小泉首相の平成13年。
そんなつい最近の話[m:60]。
無知は罪、という事なのかもしれない。。。