間もなくTuneはOPENして1年になります。
今月は、ふたりでこの6年間を振り返り、自分達が本当に伝えたいことは何なのかをもう一度確認する作業を行いました。
4月4日 アメンバー向けに公開したものを再掲します。
平成元年、羽田空港に程近い地にHFC(Haneda Fitness Club)が誕生した。
昭和の良き時代を反映した趣を持つ、贅を尽くした施設と聞く。
その後バブルが崩壊し施設は流転した。
平成17年3月、当時の運営会社が新任支配人を残し撤退。
4月新たな運営会社の社員としてNumaが導かれた。
平成18年7月、Nonが『自分』を求めて会員として入会。
シンクロニシティがはじまる
スイミングのパーソナルトレーニングをNumaより受ける。
身体を水に委ねる・・・感覚を思い出す
平成19年3月、Nonは一会員からスタッフに転向。
4月、当時の支配人が突然解雇・・・Numaが支配人代行となる。
経営状態は非常に悪く、二人を中心にして奮闘する毎日だった。
Numaは週のレッスンが30本以上、勤務時間250時間越えた。
Nonはヌアボーランを習得する。
その当時は、会員を守るため、施設を守るため、会社を守るために必死に仕事をしていた。
年明け後にオーナーが逝去(「栄えていた時期にはまわりにたくさんの人がいたが、振り返ってみたら誰もいなかった。日本に真のリラクゼーションを目的にするこのような施設が必要になると思う。これからは心の時代になるだろう」とよく言っていた。)
その後は相続問題等で宙ぶらりんの状態が続くと共に、施設のあちこちでトラブルが起きた。
スタッフも次々辞めていき、朝から晩まで少人数で運営をする日が続いた。
組織のあり方、会社のあり方、心と身体の関係などなど
様々な疑問をお互いに話し合った。
そして
「システムと数字がすべてだ」という会社の考え方に違和感を感じ
独自の考え方を見出していった。
顧客を優先し、施設の持つ独自性、オーナーの意志を継ぐ形で
運営を続けた。
人は皆それぞれ「世界にひとつだけの花」として天命に基づいて生きていくことが
本来の姿なのではないかという思いにいたった。
Numaは筆跡鑑定人、Nonはコンディショニングの勉強を通して自己を違う観点から見ようと試みた。
その後も
自分の内を見つめる日々が続く・・・
自分達なりに動くがどうしてもしっくりこない・・・
外側に答えを求め、翻弄されている自分に葛藤しそれが「苦」を生み出していることに気づき、
執着・恐れ・不安を手離した。(自我の崩壊)
同時に目に見える不要な物質も捨てた。(断捨離)
澱んでいた川の流れが一気に流れた。
平成22年9月、閉館が決定。
9月30日閉館し私たちは、運営会社を退職した。
その後
元会員の方々のひとかたならぬご支援を頂き、10月店舗契約、11月会社設立。
この施設の名前 Haneda Fitness Club(HFC)を残すべく、会社名をHeal Find Create(HFC)とし、店舗名をTunningからとりTuneとし、スタートした。
すべての出会い、出来事が必然のことであり、いまここに生かされていることに感謝。













