井上晴美さんが熊本在住で、自宅が全壊し、今の状況を発信されているようで、その言葉からも現地の方々の不安や恐怖、やり場のない感情が伝わってきます。

私にできることなど、微力ともいえないようなことですが
やっても意味ないことだとしても、やらなければ0なので。


思いつく限りのできる事を、自分なりにしていきたいと改めて思います。


とても余震とは思えないような大きな地震がまだおそっていると聞きます。

食料もなく、道も寸断されている過酷な状況に、どうにか支援が行き届くことをひたすらに祈りますが、皆様の心中を思うと、、、

言葉になりません。


一日もはやく熊本のみなさんに平穏な日々か訪れますように。

不安や恐怖が少しでも消えゆきますように。


今日も、心を込めて祈りつつ、パワーを送らせていただきました。









人それぞれ、様々な立場で
様々な状況、環境の中
見ず知らずの誰かを案じ
見ず知らずの誰かの為に
できることを!
と、SNSやブログなどで発信されています。


色々な方のそうした発信を拝見しながら
時に自分の中途半端さや、勇気のなさ、また覚悟のなさなどを思い知らされます。



これから自分に何ができるだろう?




熊本地震に対してのみならず


自分自身のために
今まで私を助け支えてきてくれて人たちの為に
そして誰かのために



人々の心が温かさと優しさに溢れるような何かを、していきたいとこの頃強く思います。



その一歩として、自分を癒す!をしてきたのですが
そろそろ次の一歩を踏み出す時が来たのを感じます。


何かを変えようとか
気づかせようとか
どうにかしようと言う思いを全て捨てて
ありのままを受け入れ
ありのままの自分でいる。


そうしたらきっと
奇跡は起こる気がしています。


もし多くの人が
目の前に起こるあらゆる事を
ありのまま受け入れ
エゴに振り回されることなく
堂々とありのままの自分のままでいられたら


きっと
争いや奪い合い
傷つけあうことも
なくなるのではないかと思うのです。




寂しいとき
誰かに寂しさを埋めてもらっても
それは底なしの沼に土を入れているようなもので
いつまでたっても沼は沼のままなのですね。

でも人はそんなに強くないから
自分の痛みから目をそらすために
誰かを傷つけたり
一番自分が自分を責めていることがつらくて、ダメな自分に開き直ったり

あらゆる自己防衛をするのだなと思います。


子どもや動物の虐待
DV
など

支配や暴力は
結局それだけ傷ついてしまっている証拠
愛されていないし
愛されるわけがないし
思い通りにいくわけがない
認められる訳がない


と、無意識に自分が自分にレッテルを貼ってしまってるんじゃないでしょうか?



人は愛されているの。


これは紛れもない事実。



親に愛されない
養育者に愛されないことの痛みや辛さは
想像にあまりあるほどですが
実際に様々な虐待を受けた方の痛みはおそらく筆舌に尽くしがたく
容易に「わかります」などといえるようなものではないと思っています。



ただ
これは皆がそうであるように
残念ですが
私たちが変える事ができるのは「未来」だけなのです。

起きてしまった「過去」を変えることは
できないのです。


でも「過去」という記憶は非常にやっかいで、特に痛みや苦しみ等ネガティブな経験、体験ほど、亡霊のようにその人にとりついて離れてくれません。



その問題が家族間のものであれば尚一層です。



ただ
皆必ず成長しています。

いつまでも子どものままではありません。


どうか勇気をもって
その過去に別れを告げてみませんか?

大人になった今
あなたを長年苦しめていたものの言うとおりにする必要もなく
自由をとっくに手にしています。


自分らしくある自由。
自由であることを認める勇気。
そして、人は変えられないという事を認める勇気。



誰かに認められないこと
大切な誰かから、愛を与えられないこと
これは
ざんねんながら変えられません。


変えられないものにいつまでも執着して自分を苦しめ続けるか?



勇気をもって手放して
別の泉からすでにわき出ている愛を受け取ることにするか?



どの生き方
どの選択にも
間違いはありません。


どうか
1人でも多くの人の苦しみや悲しみ、問題が消えてゆきますように。



自分を愛すること。
そして、そうすることで生まれるたくさんの奇跡に出会えますようにキラキラ