息子が突然聞いてきた。

きっかけは図書館で借りた本。

 

目の見えないひとのお話、先天性四肢障害児のお話を自分で選んできて

読んだあとのあとがきに書いていたふりがなの文字を読んで気になった様子。

 

私はかなり動揺した。

どういう風に説明をしたら、いいのだろうかと。

 

まだ本人に告知のようなものをするつもりはないけれど、本人が発達障害があると知った時、しょうがいという言葉に悪い含みを持たせたくないというのが大きかったように思う。

 

それぐらい、障害という言葉には負のイメージが強すぎる側面があると個人的にずっと感じていた。なのでここはプラスのイメージを加えることにした。

 

「本だと、しょうがいっていうのは目が見えなかったり指がなかったりで、何かをしようと思った時に上手くいかなくて困ることだね。」

「本のお話の人たちは人に手伝ってもらったり、工夫して出来ることをやっているね。」

「人と違って悲しんでいた女の子も、自分の良さを認めてもらってそれでもいいんだと思えたんだね。」

 

私は息子が知りたいと思えば話したいと思っているし、発達関連の書籍は棚に入っているし(たまに本人は自分とは無関係として読んでるが)、本人も特性の理解に少しずつ足を踏み入れており、オープンでいたいとは思っている。

 

でも、自分に障害があると言われたら?

自分が理解している「しょうがい」と違うと感じたら?

時間がかかっても受け入れることが出来るのだろうか?

本の中の女の子は、お母さんになぜ自分だけこうなのかと泣いていた。

お母さんは同じぐらい辛そうな顔をして説明していた。

息子はどうだろう?

息子に似た特性の子どもの話をすると自分だけじゃないんだと安堵している。

色んな人がいるということを知るのはいいかもしれない。

 

少しずつ私も心の準備をしていこう。

 

☆☆

 

ある公園で一つしかない多目的トイレを使おうとした時に、二回程同じ清掃のおじいさんに怒られた。

 

「この子は一人で男児トイレに入れるだろう。多目的トイレに入っていいのは障害のある人だけだ。」

 

聴覚過敏でどうしても慣れない流水音が怖いし、体格がいいのでそろそろ女子トイレは卒業させるために多目的トイレに行っている。私との外出先では男児トイレに行けない理由があるのだ。幼児を一人で男児トイレに行かせるのも不安だ。

イヤーマフを見て怪訝な顔をされた。音楽か何かを聞いていると思われたのかもしれない。

 

息子に聞こえないように「発達障害なんで使います。」と強めにおじいさんにいうと、ああ。といって通してくれた。多分、よく分かっていないけれど障害という言葉に反応した。音が怖いぐらいじゃ通してくれなかった。

 

しょうがいってなあに?

身体的・精神的・環境的に何かしら理由があって生活が制限され困難になることと辞書にはあった。見えにくいけれどそういう生きづらさを息子は持っている。

 

息子に一人じゃないよ、分かっているよと言っていっていこうと思う。