私は子供が大学になったら家から出て行ってもらおうと考えてた。
何故なら家を出て行くタイミングを逃して、
自活できなくなったらマズイと考えてたからだ。
でも、今はもう好きなだけ居たらいいと思っている。
まあ、働いたら家賃分、ある程度払ってもらうが
実家にいても自炊したり洗濯を自分でするなりできるだろう。
自活を妨げることないように、
一緒に住む道もあるんじゃないかなと思い始めた。
こう思い始めたのも上の子の病気がきっかけだ。
人並みの生活、それは私の中では
大学をでて、
福利厚生の整った会社に勤めて
できたら結婚をして、子供を育てる。
そうして欲しい、そう望んでた。
しかし、それは一般的な考えであって
子供の幸せはそこにはないかもしれない。
そして、その道を本人が望んでも、
そうは問屋がおろさないかもしれない。
現に、今、思い描いていた生活から外れてきている。
でも、それは悪いことではない。
分岐点がまた増えただけのこと。
想像してた一本道が、どんどん分岐点を増やし、
将来の可能性を広げつつあるのだ。
どんな将来が待ってるかわからないのは
不安で心細くもある。
不安で押しつぶされそうな時もあるが
それも経験と思って、大切にしていこうと思う。
私の一般的な人生設計という概念が崩され
柔らかなものへと形を変えつつある。
以前、一緒に役員をやっていた一年上のお母様が言ってたのが
うちは、子供がどういう将来でもええ。
幸せであればニートでもフリーターでもええ。
その当時は、せっかく私立中に入れてるのにもったいない
と思ったが
今は、その言葉がよくわかる。
その意味が理解できるようになっただけ
少し、器が大きくなったかもしれない。