先日、リトリートというものに
初めて参加してきました。

京都・美山の
携帯電話の電波も届かない
車で北に5分ほど走れば福井、
東に行けば滋賀、
という山の中で
3日間ただただ自然と自分に向き合う
そんな時間を過ごしました。


そんな山奥でどんなことをしていたのか、
ですが
ひたすら身体と五感を使って
自然の要素を感じていました。

土の感触、空の拡がり、水の流れ、
風のそよぎ、火の力強さ

参加者それぞれが
それぞれの感覚を研ぎ澄まして
ゆったりとした時間の中で感じたことを
共有し持ち帰っていきました。




最後、感じたことを言葉にしていった時に
とてもびっくりしたのが
火が怖い、扱えないと思っていると
自分で話したこと。

確かに、自分一人で
火を着けられるようになるまで
ずいぶんかかった記憶がありますが
(小学校6年までかかった)
今ではガスコンロもライターも
なんなく使えているので
まだ自分の中にそんな恐れがあることに
とてもびっくりしました。

それは単に火が怖い、だけでなく
火からイメージするものへの
抵抗や反発なのかなと感じました。

そして、
家に帰ってリトリートで
起こったこと感じたことを
オットに話しているうちに
40年前の私の気持ち、
ずっと封印していたものが
するすると紐解かれていったのです。


まだ小さな世界で生きていた私が感じた
嬉しかった気持ち、悲しかった気持ち、
誰かに気付いて欲しかったこと…

幼かった私は
それを言葉に出来ないまま
こんなこと思っているのは私だけ、
でもいつか、そんなことを感じなくなる時が
くるはず、
だって周りの人はみんな楽しそうにしている
いつも寂しくて悲しいのは私だけ、
だからいつか…

でも
それなのにいつまでもそんな時はこない、
誰にも思いを吐露できない、
心を許せない。
それは、私に何かが足りないままだからだ。
それを手に入れられたら
みんなに受け入れられるし
毎日が楽しくなれるはず…
そんな思いが人間関係を築く上で
ずっとしこりになってました。


ああ、あの時ちゃんと
誰かに話せてたらよかった
嫌だよ、悲しいよ、誰か聴いてよ…
でも、私がこんなこと言っても
誰もわかってくれない
だったら…と
塞いでしまってたけど
いつも
いつか誰かに
この気持ちをきちんと抱きしめてもらいと
思ってたんだ


自分でもびっくりするくらい
あー…と記憶が甦ってきて
私にとってはとても嫌だったあれこれや
漠然とした不安を抱えていたことを
思い出したのですが、

話していくうちに
不思議と
ほっとしたような安心するような気持ちで
そうだったね、
でももう大丈夫だよ、と
自分で自分を抱きしめられたような
そんな感覚になれたのでした。



今回のリトリートで
過去の嫌な記憶や思いを
完全に過去のことにできるくらい
私自身が変わったし強くなれたことを
実感出来ました。
(鈍くなった、なのかもしれないけど)
えー、40年もそんなの抱えてたの?
って思われるかもしれませんが

あの頃思っていた自分には
なれていないかもしれないけど
今の私は自分で自分を満たせていて、
これまでに起こったいろんな出来事にも
感謝が出来るくらいになれた。

これ、今の私にはとても自信になります。
本当に変われたんだ、と。
幸せは自分でどうとでも作れる、と。

40年かかったけど
この時間やここまでのいろんな出来事が
あったからこその今なのかな、
と思いつつも
いや、やっぱりこんな気持ちのしこりは
早いうちに解かせることが出来た方が
いいだろうな…と思いました。


そんな思いから
このリトリートでのワークを
私なりに組み立てて練っていきたいと
思っています。

また、具体的になったら
ブログに書いていきますね。




今はこんなふうに
光る宝物を見つけたここちです(ˊᗜˋ)