人間生きていたら
ひとりやふたり、憎らしくて堪らない相手が
いたりすると思います。

私も、つい先日、
数年来そう思っていた相手から
直電がありました。

関わりを
避けて生きていける相手ではなく、
いつかは話をしないといけなかったので
その「いつか」が今来たんだと
向き合いました。

どちらにも相手に対して
複雑な思いがあります。
今回は相手がご自身の思いを
私に伝えたかったのと
何らかの後ろめたさを解消するために
電話してきたのだろうなと感じました。

でも、それは相手が楽になるだけで
私の気持ちが和らいだりするわけでは
ありません。

こんなことを書くと
「そう言わずにいいかげん、
相手の気持ちも受け入れたら?」 
と関係者からは言われると思いますが

私のゴールはそこではないんですよね。

でも、もうそれも
相手に求めるのはやめよう、と思ってます。

求めても、たぶんもうムリ。

今回の電話でそれがはっきりわかりました。

「相手がわざわざ電話をかけてきた意図を
汲んであげてもいいんじゃない?」

そうも言われます。

でも、ご自身のことばかり話されて
私の思いを尋ねることはされなかったら
じゃあ私の気持ちはどうなるの?
と思ってしまいます。

私はお相手の気持ちを汲むけど…

私の気持ち

それは誰が掬って認めてくれるんでしょう。

私は、私の気持ちをなかったことに
したくないんです。

ただ、それを相手にわかってもらいたいのか
と問うてみると

自分の思いを語られるだけで
私の気持ちを
みじんも気にする素振りがないことで、
ああ、もうこれ以上話をしても
ラチがあかないと諦めがきました。

だから、お相手としては、
蟠りがなくなったと思ってると思いますが
私の中では
私の気持ちをわかってはもらえないという
「諦めの気持ち」が
私の気持ちをガードして守っているのが
今の状態です。


と、ね。
こういう時に
「私が求めているのはどんなことなのか」
をちゃんと把握できていないと
相手への思いは

恨み 

というものに変わっていくと思います。


何で私のことを認めてくれないの
何でわかってくれないの


相手に対して必要以上に執着し、
どうにか相手に自分のこの悔しさを
味あわせてやりたい。
そこに意識が集中して
本当の自分の望みが見えなくなってしまう。

そういう状態に陥ります。


昨日、京都でひどい事件が起こりました。

恨みからくる犯行のようですが
犯人は本当にこの結果を望んでいたのか、
そこがすごく気になります。

もちろん、とてもひどい結果を招くと
わかってて
ガソリンらしきものを撒いて火を着けた
とは思います。

でも、それが本当に自分が望む結果なのか。

きっと充分に自分自身に問いかけては
いなかっただろうと思います。

あ、ここでいう充分とは
時間のかけ方ではありません。

自分自身に
的確に問いかける作業をしたのかどうか。
「これしかないねん」ではなく
「これでいいねん」と
思えるところまで掘り下げたかどうか。

そこなのかな、と思います。


誰しも少なからず
誰かのことを憎らしく思っていたりします。

でも、そんな思いを否定するのではなく、
その先にどういう結果を望むのかを
丁寧に紐解いていくことで
憎さを昇華できたり、
自分自身が楽になれたりします。

私がセッションで目指しているのは
そんな気持ちの持って行き方を
お手伝いすることです。

どうぞ、必要な人に
私のスキルが活用されますように。

今こそ強く願います。