対馬 古代山城 金田城に訪問 | 西野のつまみ食いブログ

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色々な人やお店の情報を、個人のうがった視点から見て行きます。

最近、なんかバタバタして余裕がなく

UPが疎かになってました。

 

写真もだいぶ溜まってきているので、

また整理したいと思っています。

 

 

今回は、強い拘りを持つ友人 岡本氏から

ブラタモリでタモリ氏を案内していました

対馬の観光協会の「西」様に島内を案内

してもらいました。下写真が、西さん

 

真ん中 岡本さん 右 西さん 左が友人

 

目的の一つ、城好きとして念願の場所

1300年以上前に築城された

古代山城のひとつ 「金田城」

 
対馬の中央部、海に突き出した標高276mの
急峻な山中に、ほぼ石垣で造られています。

 

石垣の長さが、人手も技術も乏しい時代に

驚きの 2800m もの長さに及ぶお城です。

 

観光協会の模型から見ても、築城するには

とんでもない労力なのは間違いありません。

 

 
さらにこの場所は、明治に対ロシア対策
としていくつもの砲台が造られ砲台跡や
弾薬庫や指揮所跡が残っています。
 
これら砲台の弾や物資を輸送するために、
陸軍が山中に傾斜3度の道を作り、馬車に
よる運搬を可能にし、現在も私達が楽に
歩く事ができる大変ありがたい道です。
 
道路の石垣もしっかりしてるし、斜面
には掘削機で削った跡がくっきり残り、
当時の陸軍が丁寧に道作りをしたのも
見てわかるのが凄いと感じます。
 
 
歩きやすいとはいえ、山中を2キロほど
歩きますから、体力はかなり必要です。
 
石を割る鉄製の道具、土を固める道具、
石を運ぶための網などが不十分な時に
よくぞ1000年以上維持ができる精巧な
石垣ができたもんだと感動します。
 
 
下写真は「ピングシ門」、このお城で唯一
といっていい土塁は、防御まで考えたのか
弧状になっており、礎石も残ってました。
 
三ノ城戸は若干崩れてはいますが、
高さが 6.7m で圧巻の迫力ですし
当時の技術の高さがうかがえます。
 
 
この丸い穴が開いたは石は当時の
門の柱が建っていた礎石だそうで、
築城当時のものだそうです。
 
 
三ノ城戸から、上に上り海岸沿いの石垣
これがまた圧巻の迫力でした。
 
 
ウィキペディアによると・・・
ここは白村江の戦い跡に造られたと
なってます。
 
しかし、個人的にはもっと以前から
造られ続けていたのではと思います。
 
なぜなら規模がでかいから、3~4年
でできるとは思いません
 
 
もうね、2時間以上歩いてシンドイけど、
楽しすぎて疲れてる暇がなかったです。
 

マニア向けの場所に一緒に行ってくれた

仲間に感謝です。

 
また丁寧にガイド頂き、意見交換できた
西さんには感謝 感謝 大感謝でした。

いい旅だった~