まだコロナになる前の2019年の年末に、

家族から、連絡が来て

「クルバっていう遺跡で、新しい神殿が見つかったらしいよ」

と言われ、この記事が送られてきました。

 

 

 

なんで、日本にいる家族が

メキシコの新しい遺跡の情報を持っているんだかわかりませんが(笑)

日本のニュースって、時々

メキシコでもそれほど大々的に報道されてないようなニュースを

取り上げたりしますよね・・・。笑

 

そもそもクルバ(Kulubá)という遺跡がどこにあるかもわからなかったので

調べてみたところ、ユカタン州にあることがわかりました。

 

 

私のお気に入りである

エクバラムと同じような文化圏にあったのではないかと思います。

直線距離だと30kmぐらい?

 

ただ、車で行こうとすると

遠回りをしなくちゃいけないので、約80kmの道のりを

走らなければいけません。

 

 

こちらが、クルバ遺跡で、

新しい神殿が見つかった時の映像です。

 

 

それで、このニュースを見た時から

クルバ遺跡には行ってみたかったのですが

コロナ禍になり

いろんなマイナー遺跡が公開をやめたりしていたので

もしかしたら、この遺跡もダメかもしれないと思って

半分諦めていました。

 

また、道が非常に悪いと聞いており、

私の車(セダン)では無理かもしれないと思っていたので

誰か、トラックで連れて行ってくれる人いないかな〜なんて

思っていたわけです。

 

だけど、先日、

急に思い立って、行ってみることにしました。

 

なんてったって、あのオルミゲーロ遺跡の悪路だって

なんとかこなせたんですから

辿り着けるのでは?と思ったわけです。

 

こんなマイナーな遺跡、

流石に、日本人で行ったことがある人はいないんじゃ?と思って

検索したら、

いつも情報確認お世話になっている「マヤ遺跡探訪」のサイト管理人の方は

ちゃんと、2019年に見学されていらっしゃいました。

さすがです!

 

今回も、「マヤ遺跡探訪」さんのサイトを

非常に参考にさせていただきました。

 

 

 

トゥルムからの道のりは、

思ったほど悪くはなく、

最後の2キロの悪路以外は、

それほど問題はありませんでした。

 

今回はトゥルムを出発し、

クルバ遺跡を見てから、El Cuyo(エル・クーヨ)という

メキシコ湾側のビーチに行くことにしました。

(El Cuyoに関しては、別途書く予定です!)

 

GoogleMAPのナビを見ながら、走りましたが

時々、お祭りの屋台で道が塞がれていたり

工事中で、遠回りさせられたり・・・というハプニングはあったにせよ

非常に快適でした。

 

ただ・・・

みなさんのレビューでもあったように、

クルバ遺跡に入っていく2キロの未舗装道路が、

地獄でした・・・

 

最初は牛に囲まれた、穏やかな牧場という感じだったのです。

 

なんとも長閑な放牧風景♪

 

でも、どんどん道が険しくなっていき

坂道や穴がすごくて、

車高の低いセダンでは

確かに不安でした・・

 

なんとか乗り越えましたけれど・・・

 

到着して振り返ると、こんな感じ。

一番ひどいところは、運転に必死で、写真どころではありませんでした・・・笑

 

普通の遺跡にあるINAHの看板はなくて

手作りの木の看板があるだけでした。

 

INAHの正式なスペルはKulubá ですが

ここではなぜかCでCulubáとなってました・・・

 

こちらが遺跡を管理してくれている方(正確にいうと、牧場の管理人)の

住んでいるところ。

ここに車を置かせてもらうことができました。

 

名前を書くように言われたので、

記帳をしたところ、日曜日だというのに

入場料を払えと言われました。

 

日曜日はどの遺跡も無料のはず!と交渉しましたが

INAHが管理しているわけじゃないので

ダメみたいです・・。

 

とはいえ50ペソでしたので、

つべこべ言わずに支払いましたけど。笑

 

なんとも長閑なところです。

 

森の中だったので、心配したのですが

ありがたいことに、蚊の大群に襲われることはなくて

ホッとしました。

 

 

管理人さんが、ゲートを開けて案内してくれます。

 

 

そもそもこのクルバという遺跡は

1941年に、Wyllys Andrews IVという方によって

発見されたそうです。

 

近年の発掘調査により、

クルバという都市は、

紀元後600年−900年の、マヤ古典期後期と

紀元後800年−1050年の マヤ古典期終末期の

二つの時期にかけて使われたと考えられています。

 

土器や建築様式からみて、

同時期に栄えた、

チチェン・イツァの影響が強いと言われます。

 

いつも情報チェックにお世話になっている

マヤ遺跡探訪」さんの情報によりますと

クルバ遺跡は3つのグループにわかれているそうで、

通常公開しているのはAとBだけ。

 

どうやら2019年にニュースになった話は

グループCで発見された神殿のようですが

現時点では、一般公開されていません。

 

マヤ遺跡探訪のサイト管理人さんは、

遺跡の管理人さんに「心付け」を支払って、

特別に見学させてもらったようですが

私は、Cには入れませんでした。

 

なのでグループCの情報を見たい場合は、

マヤ遺跡探訪のサイトでご覧ください。

 

****

 

まず最初に案内されるのが、グループBです。

牛を放牧しているので、

とにかく道すがら牛のフンだらけですから

要注意です!笑

 

2001年に行われたクルバ遺跡のフィールドワークをもとに書かれた報告書から

図面を見ますと

グループBはこのようになっています。

 

 

ただし、実際に修復されて見学できるようになっているのは

この中で2つの建物だけです。

 

その一つが、「仮面の神殿 El Palacio de Los Mascarones」

 

遺跡入口から、

こんな感じの道を300メートルほど歩いていくと

グループBに辿り着きます。

 

突然現れるプーク様式の「仮面の神殿」の背面

 

プーク様式(PUUC)というのは、

マヤの建築様式の一つで

石をモザイク状に嵌め込んでいく壁面装飾が有名です。

 

代表例は、ウシュマル遺跡ですが、

それ以外の場所でもたくさん使われています。

 

プーク様式は、私が最も愛するマヤの建築様式でして

その熱い思いは、こちらで書いているので、繰り返しません。笑

 

一番端っこの部屋は、崩れてしまっていますが

図面によれば6部屋続いている細長い宮殿です。

 

宮殿の上の部分にプーク様式の特徴的な

石のモザイクがあり、

雨の神チャークの顔が形作られています。

(こちらは宮殿の背面)

 

ジャーン、こちらです!

かなり綺麗に残っていますね!木が生えちゃってますが・・・汗

 

雨の神チャークの鼻も、しっかり残っています!

なんとも美しいモザイクです。

 

宮殿の上部は、全てこのモザイクで覆われていたのでしょうけれど

全て落ちてしまっており、

修復できていな石たちが、近くの小屋にまとめられていました。

 

一部、修復されたチャークもいました。

 

こちらが宮殿の表側で、6部屋の入口が開いています。

こちらの壁面のモザイクは、全部落ちてしまっているようです。

 

崩れてしまっている一番端の部屋を見ると

マヤアーチの天井になっていたことがわかります。

 

非常に見応えのある宮殿です!

 

 

そして、グループBでもう一つ、修復が進んでいるのが

「チェネスの建造物(Edificilo Chenes)」と呼ばれる宮殿のような建物です。

 

 

仮面の神殿よりはちょっと小さめです。

 

チェネス様式に介しては

以前、チカーナ遺跡のレポートを書いたとき

詳しく説明しましたので、そちらを参照してください。

 

実際には、リオベック様式とそれほど大きな違いはないわけで

この建物だけ見ると、リオベック様式なのかな?という気もするんですが

一応、チェネス様式だとされています。

 

チェネスだとされる理由は、もちろん、こちらのファサードです。

 

 

こうやって残っている部分だけ見るとわかりづらいかもしれませんが・・・

 

どうやら、復元図はこうなるようです。

 
魔物が口を開けたかのような入り口・・・
これが、チェネス様式と言われる所以です。
 
同じ広場に、
チェネス様式の宮殿とプーク様式の宮殿が作られているのも
非常に、興味深いですね!
 

 

ちょっと長くなってしまったので、グループAの紹介は

次の記事に続きます!