シェルハ遺跡 Xelha その1の続きになります。

 

さて、シェルハ遺跡はマイナーとはいえ

細かく見ていくと、色々見所があるわけですが

今回は、もう一つのメインディッシュである

セノーテとその周辺遺跡群を見ていきます。

 

前回ご紹介した、

「付け柱の建造物」から

サクベ(Sacbe)というマヤの道がスタートして、

セノーテに向かっています。

赤い矢印がサクベです。

もちろん、サクベは、それぞれの主要都市を結ぶマヤの道ですので

セノーテで終わっているわけではなく、

その先もずっとジャングルの奥に続いています。

おそらく、当時は、コバまで続いていたんではないでしょうか・・・

 

こちらが、シェルハ、トゥルム、コバの位置関係です

 

 

さて、このサクベですが

2017年にきたときは、全然整備されていなくて

通れなかったのですが

今回は、とても綺麗になっていました。

 

ここがサクベのスタート地点

 

石がゴロゴロした道です。

 

かつて、マヤの人たちが歩いたサクベは

こんな道だったのでしょうか・・・

 

600mぐらいサクベを歩くと

このように開けた場所にでます。

 

ジャーン、

ここがセノーテです!

 

なんとも神秘的!

 

水面に周りの緑と空が映ってる!!綺麗!!!

 

お天気も良くて、いい感じです!

 

水に触れるところまで降りていくことができます。

 

写真でもわかるように

「セノーテの中に入ってはいけない」

という看板は見ませんでしたし

特にロープもありませんでしたし

気軽に水辺まで行かれました。

 

なんですけど、

この雰囲気からして

水には、入らない方がいいような気がします・・・笑

当時は、色々と生贄なんかを捧げていたと思うので・・・・

 

 

なんでそう思うかというと

セノーテのすぐ脇に、

ちょっとお墓っぽく感じる遺跡群があるからです。笑

 

それが「グループC」と呼ばれる建物群になります。

通称、「ジャガー建物群」

 

なんでジャガーと呼ばれるかというと

神殿の中に、ジャガーのフラスコ画があるからです!

 

シェルハ遺跡のトレードマークになっている

このジャガーです!

 

ジャガーの建物群は、このような5つの建物からなっています。

大きな基壇の上に、円を描くように5つの小さな建物が並んでいます。

ちなみに、両脇に道のように伸びているのが

サクベです。

 

すべての建物が、後期古典期の1200年以降に作られたものです。

 

こちらがジャガーの建物群をサクベから見たところ。

 

こちらは反対側から見たところ。

中央にあるのがジャガーの家

 

セノーテ側からジャガーの建物群を見たところ

真ん中にある建物が、ジャガーの家

 

 

図面で確認します。

赤丸で囲っているところがジャガーの家であり

ここにフラスコ画が残されています。

 

こちらがジャガーの家の脇から、セノーテを見たところ

セノーテに面して、建造物が建てられているのがわかりますね。

 

ジャガーの家の説明

 

ジャガーの家を正面から見たところです。

 

近づいてみると、こんな感じ。

中に1つ建物が造られていて

そこの壁面に、フラスコ画が描かれており

さらにそれを覆うように(マトリューシュカみたいな感じ)

建物が造られている二重構造になっています。

これらは別々の時代に建てられたと考えられていますが

どちらにせよ、後古典期のもののようです。

 

こちらがジャガーの家の裏側(セノーテ側)

トゥルム遺跡のカスティーヨにも見られるんですが

正面は、柱が立っていて、裏には小さな覗き穴みたいなのがついているのが

後古典期の東海岸様式の特徴の一つでもあると思います。

 

正面入り口には、網がかかっていますが

こんな感じで、赤とマヤブルーのフラスコ画が残っています。

 

しゃがんでやっと入れる程度の高さで

人間が住む場所でないことは確かです。

神殿もしくは、お墓のようなものだったと考えられます。

 

マヤブルーが残っていますが

何が描かれていたのかは全然わかりません。

 

説明パネルによると、このような絵が

描かれていたそうです・・・

 

左側は、なんだか海に見えますね!

面白い!

 

そして、こちらが、ジャガーの家の向かって右側の側面になります。

こちらにも、窓が開いています。

近くに寄ってみると、こんな感じです。

 

こちらが説明文

 

先ほど見た、正面には、マヤブルーと赤で

海の図柄と人の図柄が描かれていたんですが

この右脇には、

全く違ったジャガーが描かれているのです。

 

こいつです・・・

 

真正面に穴が空いていないので

うまく撮影できなかったのですが

逆さまになっている黄色いジャガーです。

 

 

正直なところ、このジャガーは

かなり修復されていると思います。

下手したら、かなり鮮やかに塗っちゃってる可能性も・・

でも、こういう図柄だったことは確かのようです。

 

こちらのフラスコ画も

後古典期(紀元後1200年から1450年)のもののようです。

 

外側の建物を剥ぎ取った場合

こんな形で描かれているようです。

 

さて・・・・

この逆さになった形って、

どこかで見たことあると思いませんか?

 

そうです!

実は、コバやトゥルム遺跡で

繰り返し描かれる「逆さに落ちてきた神」と同じパターンなんです。

 

こちらがトゥルムの「フラスコ画の神殿」に描かれている

逆さに落ちてきた神です

 

遺跡の説明看板にあった図がこちらです。

足が上を向いている感じが、ジャガーと似てますよね!

 

 

ちなみに、この「逆さに落ちてくる神」のモチーフなんですが

実は、マヤ人が昔から崇めている

「蜂蜜の神(蜂の神) Ah Mucen Cab」が、

元の形になっていると言われているんです。

 

Ah Mucen Cabは

こんなふうに描かれていたらしいです。

言われてみれば、確かに後ろ足の感じが似てますね!

写真はこちらのサイトからお借りしました。

 

まさか、トゥルムの逆さに落ちてきた神の原型が

蜂蜜の神だとは思いもしませんでした・・・

 

こんな土器も作られていたようです。

こちらの写真は、このサイトからお借りしました。

 

この土器を見ると、トゥルムやコバに出てくる

逆さに落ちてきた神と似た感じがありますね!

 

もしかして、両手で大事そうに支えているのは

蜂蜜を入れた壺だったのでしょうか・・

 

 
 

 

ハチミツといえば、ミツバチからとる

西洋の蜂蜜が有名ですが(古代エジプトでも使われていた)

マヤやアステカでは、

ハリナシミツバチ(Melipona)という、針のない蜂から

はちみつをとっていたのです。

 

西洋のミツバチの方が飼育しやすいということで

マヤのハリナシミツバチを飼育する養蜂家は

ほとんどいなくなってしまったそうですが、

映像として残されているものがあるので、ご興味がある方はどうぞ。

 

山田養蜂園が出している日本語のドキュメントはこちら。

 

 

英語のドキュメント

マヤの人たちは、ただはちみつを取るために養蜂をしていたわけではなく

儀礼的な側面もふんだんにあったように思います。

 

 

こちらは英語ですが、映像見るだけでも、なかなか面白いですよ!

 

 

 

こちらのリンクは、

英語の自動翻訳なのか、ちょっと日本語が怪しいですが

マヤのハチミツの話が書かれていて

面白かったです!

 

またこちらのサイトでは、

蜂蜜の神と、逆さに落ちてきた神の関係性について

かなり詳しく触れられておりました。

 
 
 
この文章を読むと
コバ遺跡と、Ah Mucen Kab(蜂蜜の神)は
非常に密接な関わりがあったように書かれていますので
これについては、また色々と調べてみたいと思います。
 
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シェルハ遺跡をご紹介するつもりが
蜂蜜の神の話に行ってしまいました・・・
 
それにしても
もし、逆さに落ちてきた神が蜂蜜の神、Ah Mucen Kabだとしたら
なぜ、シェルハではジャガーのモチーフになったのか
気になりますね・・・
 
セノーテと関わりがあったのか・・・
もしくは、あの神殿に祀られた
誰かに関連していたのか・・・
 
非常に興味をそそられますが
文献が何も残っていないのが残念です。
 
以上で、シェルハ遺跡のご紹介を終わります。
 
もし、トゥルムにいらっしゃって
時間的に余裕があるようでしたら
是非是非、訪れてみてください!