ただ今、出張で函館に来ております~(‐^▽^‐)


最近、仕事もとっても忙しくて、ブログ更新がなかなかできなくて・・・あせる


でも元気ですよ~チョキ



今もテレビで被災地の様子が映ると涙がこぼれてくる時がありますが、


気持ちも落ち着き、時々ヨガに行ったり、お酒を飲みに行ったり、


元の生活を取り戻しつつあります(^∇^)


(走ってないなぁ~~(^▽^;) )



震災後、地元の様子は着実に復興に向けて進んでる感あります!


とはいえ、いまだ10万人以上の方が避難所生活を強いられているのが現状です。


仕事の合間をぬって、引き続き支援活動を続けていますが、


今まで集まった支援物資はゆりあげをはじめ、宮城県内の被災者の方たちへ


届けさせていただいています!


被災地の方々からは、


「本当にありがとうございます!!協力してくれてる人達にくれぐれもよろしく伝えてくださいね!!!」


と心から喜んでくださっています(^∇^)



今まで、子供服を含む衣類・バック・くつ・寝具・鍋・食器・・・等


沢山送り届けていますが、


現地の声で、「実は赤ちゃんの離乳食がどこも足りない!」


と聞きました!


不自由な避難所生活の中、ママ達は手作りの離乳食を何とか苦労して


つくり赤ちゃんにあたえているそうです。




もし、その業界(ベビーフード)の方や、お取り扱いされている方で、


寄付お願いできる方がいらっしゃいましたら、


各自治体へ問い合わせていただいて、ご支援いただけたらと思います。



もちろん、私のところにお寄せいただいても結構です。


個人的に少数でもかまいません!


現地の状況を聞いて、直接足りないところへ迅速に届けるつもりです!


どうぞよろしくお願いいたします!!


仙台の私の仲間がこまめに動いてくれています!みな地元の為に必死です


仙台では、被災していなくても食器が全滅した家も多く、近くにいてもあげること

が出来ないので、こちらから送っている食器はとても喜ばれています。


ニュース等で、「支援物資が大量にあまっている!」


との報道もありましたが、まだまだ行き届いていない場所や、


足りない物があるのが現状です。


自治体同士の横の連携は難しいのでしょうね・・・



ふるさと宮城県の復興へ向けた支援活動はまだまだ続きます!!


どうぞこれからもよろしくお願いいたします(^-^)/



函館もかなり被害があったそうです・・・( ̄□ ̄;)!!


こちらの人達は東北の様子を見て、


「自分達はなんもなんも~!あの人達に比べたらなんてことないさ~!」


と元気に迎えてくれています('-^*)/


ではまた


ペタしてね




GWにやっと仙台へ帰ることができました!

今回の帰省は、やっと両親と会える嬉しさと、

沢山の人達が大変な想いをしたのだなぁ…

という複雑な想いでいっぱいでした・・・

仙台駅は新幹線のホーム天井は鉄鋼がむき出しになっており、外観は全面幕で覆われていました。


テレビでめちゃくちゃになった駅の様子を見て、いつ仙台に帰れるんだろう?と心配した日から、これだけ早く、運転再開出来たのには驚きました!


アロハスマイルで行こう!  4月30日の様子


実家は何事もなかったかのようにきれいに片付き、


いつもの両親の笑顔と対面できました(^∇^)

家に着いたとたんから、地震の時の様子を母の怒涛のようなリアクション付きの解説で延々聞かされました(^_^;)

でも具体的に聞いて、地震自体が本当ににすごかったことがわかりました

今回の帰省のもう一つの目的は、友人が被災した、名取市ゆりあげ地区へ行ってみることでした

部外者が立ち入ることはじゃまだし、失礼かと思いましたが、


友人は是非現状を見に来て欲しいとのことで、夫婦そろって忙しい中ゆりあげを案内してくれました

写真や映像では見ていましたが、いざ現地を目の前にした時、言葉を失いました…

本当に何もかも無くなっていました・・・



アロハスマイルで行こう!




「ここが工場の跡!」


アロハスマイルで行こう!

夫婦で頑張っていた自動車修理工場が・・・



引き上げられた被害にあった車が並べてある場所がありました。

車の死体置き場って感じでした


アロハスマイルで行こう!


アロハスマイルで行こう!
ダンナさんが大事にしていたホンダビート


「ここが実家跡!ね~!な~んにもないでしょう~!」

アロハスマイルで行こう!

「ここが茶の間で、ここが台所・・・だったんだよね~」


明るく説明してくれる友達にかける言葉がみつかりませんでした


本心はどんな思いなんだろう


彼女のお母さんは、あまりのショックに体調を崩してしまったそうです


無理もありません、突然すべてを奪われてしまったのですから・・・


彼女の周りには家族を亡くした人がたくさんいて、

現実を受け入れられない人も多いそうです



名取市ゆりあげ地区は、人口約7000人


このたびの犠牲者約800人、行方不明者約200人


よく聞けば、こんなにたくさんの方が犠牲になったのは、


まったく警報が鳴らなかったのだそうです!


彼女も、ダンナさんもそれぞれ車のラジオをつけて


津波が来ることを知ったのだそうです


地震のとき停電になり、情報が何一つ無くなり


地震でめちゃくちゃになった家の中で


どうしていいかわからず、困惑し、津波が来るとは知らずに避難しなかった人がたくさんいたのだろうと言っていました。


消防団の人達が必死で近所を廻り避難するよう呼びかけたたそうですが・・・

その消防団の方も多数被害に遭われました


せっかく避難所に避難しても、子供が心配で学校まで行って津波に飲み込まれたり・・・





アロハスマイルで行こう!


防災システムがどのようになっていたのか、警報さえ鳴ってくれれば・・・


悔やまれてならないと


彼女がはじめて顔を曇らせました


誰もがあんな大津波が来るとは思いもしなかったでしょうが・・・



アロハスマイルで行こう!  日和山
テレビでも取り上げられた倒れた桜の木から開花



アロハスマイルで行こう!
閖上小中学校の子供達が植えた新しい桜の木!

復興を願って!!


アロハスマイルで行こう!


アロハスマイルで行こう!


アロハスマイルで行こう!

早くも瓦礫が片付けられ更地も多くなっていました



帰りに名取駅近くの居酒屋で、仙台市内の仲良しの友達も集まりみんなで一杯ビール


本当に本当にみんな無事でよかった


それぞれ、家にひびが入ったり、食器が全滅したり


停電や断水、ガス停止、ガソリン不足、食料難・・・


みんないっぱい苦労したんだよね(T_T)


こんなに早くみんなで笑って一杯やれるとは・・・しょぼん


こみあげるものをグッとおさえ


「みんな!がんばろ~~!!


「かんぱ~いビール



友人夫婦も奮起し、すでに新しい工場を借り「また一から頑張る!」

と前へ進みはじめました('-^*)/



たくさんの大切なものを失った人達が、

復興の為に日々みんながんばっています!



今回、励ましに帰ったつもりが、反対に元気をもらって帰ってきました。


私も地元復興の為に、今出来ることを、やるっきゃない!!


がんばるぞ~~~グーメラメラ






ペタしてね



久しぶりのブログ~!!


いろいろ忙しくしていました。


大震災による故郷、宮城県の惨状にしばらくの間は


泣いてばかりいました。



実家の両親も無事とはいえ、ライフラインがすべて復旧するまでは


心配の日々が続きました。


何日もお風呂に入れない、トイレ用の水が足りない、食料が買えない・・・


行くこともできない、送ることもできない、何もしてあげることができないもどかしさでいっぱいでした・・・



その間にも、友達や知人が災害に巻き込まれた情報が次々入ってきて


毎日、心がどんよりしていました。


親友は実家と、ダンナと二人で営んでいた自動車修理工場の両方を津波で流されました。


仙台市の隣、名取市閖上(ゆりあげ)地区は町すべてが流されました・・・



アロハスマイルで行こう!


彼女は、津波の警報後、急いで実家まで行き、両親を連れて逃げ


間一髪助かりました。(自宅は別の地区で大丈夫でした!)


しかし、生まれ育った町のすべての人が被災し


たくさんの知人を亡くし苦悩のしていました。


「何か出来ることはない?」


「うん、みんな着の身着のまま逃げたから着る物を集めてくれる!」


避難所にはすぐに冬物は寄せられたそうですが、


これから先の春物、夏物、靴、バック・・・がないからとのこと。


仮設住宅は待てずに、アパートなど借りて、どんどん入居が始まりました。


「生活雑貨も必要だよね?」


「うん、皿でも鍋でもなんでも・・・」


まず、自分の物を出し切って、身近な友人に声をかけ、


お陰さまでたくさん集まり、仕分け作業をしては送り出す、そんな毎日をおくっています。


この場を借りて、協力してくれた皆さんにお礼申し上げます・・・


仕分け作業や発送なども手伝ってくれてありがとうございます。


現地では、その彼女が自分も大変な状況なのに


被災者の方たちにこちらから送った支援物資を届けてくれています。


みなさんとても喜んでくださっているそうです!



この支援は長いスパンで考えています。


今回お声をかけなかった知り合いの方へも、今後お願いすることが


あるかもしれませんので、そのときはよろしくお願いいたしますm(_ _ )m



アロハスマイルで行こう! 寄せられた支援物資


アロハスマイルで行こう!

荷物を開けた時、みなさんの心が伝わってきます!



あまりテレビで取り上げられていない”名取市閖上(ゆりあげ)地区


壊滅状態です・・・


ここに一人の青年のブログがあります


(3月15日から始まっています)


彼は弟を亡くし、お母さんが未だ見つかっていません


名取市閖上復興支援のブログ



あの日からの閖上の現状を知っていただきたい。



がんばれゆりあげ!!!!

応援せずにはいられません・・・



ペタしてね


心配していた仙台の両親とやっと話すことができました!


いつ電話がかかって来ても良いように、携帯電話を首から下げて


気が気でない状態で過ごしていました


地震後4日目今日の昼過ぎに携帯が鳴り「公衆電話」の文字!!!


父の声だった


無事だということはわかっていたけど、声を聞くまでは心配でした。


実家のある地区は高台にあり、津波の被害は全く関係ないところです。


しかし、震度6強だったので、家の被害状況、自宅にいるのか?


近所の避難所にいるのか?


停電・ガス停止・断水 ライフラインすべてストップした状態で


夜は寒いのにどうしているのか・・・


食料がないとニュースでやってるし・・・



「二人とも元気だぞ~!」


父の声を聞いたとたん思わず涙が出てしまいました


やっとバスが動き出したそうで、


街の中まで出てきて、東北電力ビルに設置された公衆電話からかけてきました。


携帯の充電も出来るようになっていたそうです。


食料もおにぎり一人1個いただいたそうです。



実家の近所の公衆電話はつながらず、携帯は圏外。


なんとか連絡をとりたいのに、どうしようもなかったそうです。


家は大きな家具が倒れることなく、


棚から物が落ちたり、サイドボードの中のグラス類がたおれて割れたりは


したけれど思ったよりは被害は少なかったほうだと思います。


母は避難せずに、必死に食器棚をおさえていたそうです


31年前の”宮城県沖地震”の時、


食器棚がたおれ、食器が全滅したことが


くやしかったらしく、


地震のたびに母は食器棚をおさえていました。


でもまさか今回のあの揺れを耐え忍んだとは・・・


今日の夕方やっと停電が解除され、


電話がつながり、母とも話すことができました。


母「食器棚ささえ通したよ~!おかあさん頑張ったよ~!」


私「寒かったでしょう?」


母「古い石油ストーブをすててなかったから大活躍してたよ!」


母「ストーブでご飯炊いたり、ラーメンつくったり、おもちも食べたり


コーヒーも飲んでるよ~!」


母「割れたガラスもガムテープで片付けて、すっかり地震の前より家がきれいになったよ~!」


いつも元気な母がいつも以上にテンションが高い!


涙より笑ってしまいました。


きっと心配いらない!と伝えたかったのでしょう!


食器棚を固定せねば・・・!



地震の直後、近所の人達が「大丈夫ですか~?」


と心配して何人も来てくれたそうです!


水も食料もいろいろな人が持ってきてくださってるそうです。


本当にありがたいです


そして両親が元気でいてくれたことに感謝



津波で被害にあった方たちを思うと言葉がありません・・・


友達や知人の中には、家を流された人が多数います


テレビの映像には映らないけど


木に遺体がぶら下がっていたり、道端に横たわっていたり


それはそれは地獄絵のようだそうです。


まだまだ捜索が続いていますが、


一刻も早く被災者の方がご家族の元へ帰れますように


祈るしかありません


そして復興に向けて頑張るしかありません!


何が出来るかわかりませんが、


大好きな仙台のために私もがんばります!


前を向いていきましょう




東京電力、節電呼びかけ 「極めて厳しい電気の需給状況」


やはり電力が不足するらしいので


無駄な電力は極力使わず、節電に協力しましょう!



相変わらず、仙台は断水・ガス停止・


そして停電中のため両親とは電話がつながりません。


無事とは聞いていますが、どんな状況なのか心配です


向こうからの連絡をまっていますが


たぶん公衆電話からかけられることもわかっていないのかもしれません


そこまで行けないのか・・・


なんせ年寄り二人なので心配です・・・


寒さをなんとかしのいでがんばってて欲しいです。