心配していた仙台の両親とやっと話すことができました!
いつ電話がかかって来ても良いように、携帯電話を首から下げて
気が気でない状態で過ごしていました
地震後4日目今日の昼過ぎに携帯が鳴り「公衆電話」の文字!!!
父の声だった
無事だということはわかっていたけど、声を聞くまでは心配でした。
実家のある地区は高台にあり、津波の被害は全く関係ないところです。
しかし、震度6強だったので、家の被害状況、自宅にいるのか?
近所の避難所にいるのか?
停電・ガス停止・断水 ライフラインすべてストップした状態で
夜は寒いのにどうしているのか・・・
食料がないとニュースでやってるし・・・
「二人とも元気だぞ~!」
父の声を聞いたとたん思わず涙が出てしまいました
やっとバスが動き出したそうで、
街の中まで出てきて、東北電力ビルに設置された公衆電話からかけてきました。
携帯の充電も出来るようになっていたそうです。
食料もおにぎり一人1個いただいたそうです。
実家の近所の公衆電話はつながらず、携帯は圏外。
なんとか連絡をとりたいのに、どうしようもなかったそうです。
家は大きな家具が倒れることなく、
棚から物が落ちたり、サイドボードの中のグラス類がたおれて割れたりは
したけれど思ったよりは被害は少なかったほうだと思います。
母は避難せずに、必死に食器棚をおさえていたそうです
31年前の”宮城県沖地震”の時、
食器棚がたおれ、食器が全滅したことが
くやしかったらしく、
地震のたびに母は食器棚をおさえていました。
でもまさか今回のあの揺れを耐え忍んだとは・・・
今日の夕方やっと停電が解除され、
電話がつながり、母とも話すことができました。
母「食器棚ささえ通したよ~!おかあさん頑張ったよ~!」
私「寒かったでしょう?」
母「古い石油ストーブをすててなかったから大活躍してたよ!」
母「ストーブでご飯炊いたり、ラーメンつくったり、おもちも食べたり
コーヒーも飲んでるよ~!」
母「割れたガラスもガムテープで片付けて、すっかり地震の前より家がきれいになったよ~!」
いつも元気な母がいつも以上にテンションが高い!
涙より笑ってしまいました。
きっと心配いらない!と伝えたかったのでしょう!
食器棚を固定せねば・・・!
地震の直後、近所の人達が「大丈夫ですか~?」
と心配して何人も来てくれたそうです!
水も食料もいろいろな人が持ってきてくださってるそうです。
本当にありがたいです
そして両親が元気でいてくれたことに感謝
津波で被害にあった方たちを思うと言葉がありません・・・
友達や知人の中には、家を流された人が多数います
テレビの映像には映らないけど
木に遺体がぶら下がっていたり、道端に横たわっていたり
それはそれは地獄絵のようだそうです。
まだまだ捜索が続いていますが、
一刻も早く被災者の方がご家族の元へ帰れますように
祈るしかありません
そして復興に向けて頑張るしかありません!
何が出来るかわかりませんが、
大好きな仙台のために私もがんばります!
前を向いていきましょう