さてとっぷり日が暮れてきました。
港から10分ほど歩いて女木島名画座に到着です。
もともと女木島に映画館があったわけではなく、ここも瀬戸内国際芸術祭のアート作品として整備された施設です。
2016年の時だったかな🤔
芸術祭の期間中はチャップリンやヘプバーンといった古の名優の出演作を上映してるんですが、年に1、2回、特別上映会を開催してます。
今回はツアー形式で20人くらいの方が参加しました。
ニューヨークの古い映画館をモデルにつくられた芸術祭の作品です☺️
50席くらいあります。袖に立ってるのが瀬戸内国際芸術祭の総合プロデューサー北川フラムさん
この夜の上映作品は「かづゑ的」
岡山県瀬戸内市にある国立ハンセン病療養所長島愛生園で暮らす宮崎かづゑさんに密着したドキュメンタリー映画です。
ハンセン病はかつて癩病(らいびょう)と呼ばれていました。
細菌による感染症だけど感染力は弱くて握手したりおしゃべりしたりするくらいでうつることはありません。
コロナとは全く違います。
でも菌が潜伏してしまうと末梢神経を傷めていきます。
あちこちに結節(こぶ)ができて視神経をやられて失明したり手足の指が壊死したりします。
顔の見た目も変わってしまうので世界中で忌み嫌われました。
日本では明治時代から療養所に患者が収容されるようになり、昭和になると絶対隔離すなわち患者を見つけ次第、療養所に強制収容するようになりました。
その国立1号の療養所が長島愛生園だったのです。
1943年にはプロミンという特効薬が開発され、ハンセン病はすぐに治る病気になりました。
後遺症もなく見た目が変わることもありません。
でも日本の絶対隔離政策は法律の上で1996年まで続き、元患者が無断で療養所を出ることは脱走であり犯罪だったのです。
前置きが長くなったけど、1928年に10歳で入所したかづゑさんは満足な治療も受けられず足を失い、やがて後遺症のために手の指を失い視力も次第に弱っていきます。
それでも決して生きる力は失わず、96歳の今もセニアカーをブイブイいわせて自分で売店に買い物に行きます😁
そうしたかづゑさんと夫との日常や故郷への墓参の旅が長島の美しい景色をバックに記録されています。
119分の映画を見終わると胸がジーンと熱くなりますよ🥹💖
今年3月から各地で上映されてます。
お近くの映画館でぜひ観てください。
長島にはさざなみハウスというカフェができていて、誰でも訪問することができます。
かづゑさんも時々利用するそうです。
僕も何度か行ってるのでまたご紹介しますね☕💭💕
映画が終わるとお楽しみの夕食です😋🥢
女木島の海水浴場にある鬼旬(きしゅん)という食堂が特別に夜間営業してくれてサワラの御膳をいただきました。
刺し身、たたき、焼きもの、天ぷらとサワラを堪能しました😊
サワラは淡白な魚だけど脂がのっていろんな料理に合うので岡山や香川の人は大好きです🥰
岡山のばら寿司にも欠かせない具材です。
豆ご飯のおにぎりも美味しかったです。
食後に旧女木島小学校の校庭にある女根(めこん)にやってきました。
大竹伸朗さんというアーティストが芸術祭の作品として制作しました。
海に流れ着いたブイとかプロペラとかベンツのマークだとかいろんなものが組み合わせてあって全体はジャングルの中のタワーみたいになってます。
普段は昼間の公開なんだけど、この日は特別に夜間鑑賞させてもらいました。
ネオン管が色とりどりにきらめいて妖しい感じだったよ🤭
なんと数十年に一度開花するといわれるリュウゼツランの花が咲いてました😳
花が終わると枯れて隣から新しい株が出てくるそうなんだけどどうなるんでしょうね🧐
1つ1つの花は小指の先くらいの大きさです。
女木島に自生してるとは思えないのでこれもアーティストさんが拾ってきたんでしょうか😅