JもCEPEに通う予定だったので、私たちは同じときにメキシコシティに来た。
CEPEでは、下宿先のリストを提供してくれる。
しかし、それはリストのみの提供で、実際に住む場所を探すのは自分自身。
Jと私は、一緒に住もうと話し合った。だけど、グアナファトという小さな小さな町から来た私たちにとって、メキシコシティはとっても怖い・・・。ということで、大家さんも一緒に住んでくれる形の、部屋貸しタイプの下宿先を探そうということになった。
私たちの条件はいろいろあったけど、第一条件は、学校まで歩いて行ける場所。
リストの住所だけではわからないので、学校の事務所で徒歩圏内の家にチェックを付けてもらい、電話して見学に行った。
最初見に行ったおうちは、40~50代の独身女性が一人で住むおうち。
広い敷地にマンションというかアパートというか、建物が何号棟も建っていて、その一角。
一人で住んでたけど、部屋は大家さんの部屋以外に3つもあった。
キレイですごく気に入った。
だけど、大家さんがきつい感じがして、なんとなくためらった。
それから学校が始まるまでは1週間くらいはあったのだが、毎日家を探した。
暑い中、歩き回った。
途中で飲んだ、絞りたてのオレンジジュースがおいしくて、暑さと疲れで疲弊した私たちはものすごく二人で「おいしいね、おいしいね」と繰り返し言ったのを覚えている。
しかし、二人で一緒に住める、という条件がなかなか合わず、家探しは難航。
そんな中、「じゃあもう大家さんが一緒っていうのは諦めて、二人で住もう。」ということになった。
それからは、空いてる家々の看板を見て電話して・・・と歩き回った。
しかし、外国人の私たちはなかなか貸してもらえない。貸してはもらえても、あなたたちは外国人だから、家賃を1年分デポジットとして前もって払って・・・など、恐ろしい条件を言われたりした。
そんな中ようやく住める部屋を見つけた。
黄色いマンションだった。
この黄色いマンションは、けっこう最初から見つけていて、二人で「アマリージョ」と呼んでいた。
だけど最初は、家賃も高そうだし、またなんらかの理由で貸してもらえなかったりするんじゃないかと思っていたので、電話もしてみなかった。
だが、いい加減行き先もなくなってきて、「とりあえずアマリージョいってみる?」と、その大家さんに連絡してみた。
答えはあっさりOKだった。すぐに下見もさせてくれた。
下見を終えて、
「じゃあ、明日契約ね。お金持って来てね。」といわれ、翌朝約束の時間に向かった。
だけど大家さんはこれまた信じがたいことを言い出した。
「ごめんねぇ~。ここ、昨日うちの娘がもう他の人と契約交わしちゃってたみたいなのよ~。つい、昨日なの!ほんとごめんねぇ。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」
私たちは再び住む場所を探して、歩き回った。
結局、一番最初に見に行った、ちょっときつそうな大家さんの家に二人で住むことになった。
大家さんは見た目もしゃべり方もきついけど、実はとっても優しい人だった。
スペイン語の先生だったので、家に生徒を呼んで授業したりもしていた。
毎日「今日あったことを話して」と言ってくれるので、スペイン語もいっぱい話せた。
あのアマリージョのマンションが、今の家から見える。
それを見つけたとき、すっごく心がほんわかして、あの家探しの日々を思い出してクスッと笑ってしまった。
たぶん今私がここに居られるのは、ここでの楽しい経験、思い出があるからやっていけるんだと思う。
もしここがたとえばインドだったら、私は行ったこともない、もちろん思い出もなく、寂しくしょんぼりしたと思う。
そう考えると、人生の経験って何かしらつながってるんだなぁと、アマリージョのマンションを見て実感した。