私の仕事は、人間の果てしない欲望を具現化したような、何百万円ものクロコダイルのバッグや、ダイヤモンドが敷き詰められた宝飾時計を買い付けることだ。毎日、色彩と過剰な装飾の嵐の中に身を置いている。そんな私が、一日の戦いを終えて帰る自宅のインテリアを見たら、誰もが言葉を失うだろう。そこにはブランド家具もなければ、派手なアートも一切ない。あるのは、簡素な無垢の木のテーブルと、一本のインク、そして一輪挿しの花だけだ。
なぜ、物欲の最先端にいる人間が、プライベートではここまで極端な「無の空間」を求めるのか。理由は、私の職業病とも言える「視覚と感性の疲弊」を防ぐためだ。
ラグジュアリーのバイイングとは、常にモノが放つ強烈な「記号(アイデンティティ)」を読み解く作業だ。あのブランドのロゴ、このブランドのシグネチャーカラー……。それらを浴び続けていると、人間の脳は次第に麻痺し、本当に美しいものを見分けるための「初期衝動」が鈍くなっていく。
だからこそ、自宅は徹底的に「無記号」の空間でなければならない。何もデザインされていない無垢の木の木目を眺め、白い壁に落ちる光と影の移り変わりを感じる。その静寂の時間だけが、私の擦り減った審美眼をクリアな状態へとリセットしてくれるのだ。
過剰な世界に生きているからこそ、引き算の極致にある美しさが身に染みる。本当に豊かな生活とは、多くのモノを所有することではなく、自分の心をニュートラルに保てる空間を持つことだ。私のこの何もない部屋こそが、明日また数億円の欲望の海へ飛び込んでいくための、最強のシェルターなのである。