宮島水中花火大会の話。 | 魔女助産師tomoko [ コトノハヤ ]  書庫

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感じたことを言葉に変えて綴る手記。あなたのこころがあたらしく生まれる場に立ち会いたい。

花火の話。

 

本日、同行させていただいたみなさまと鑑賞したのは、宮島水中花火大会でした。

 

ひとの混みようが苦手だというのと、TVでも見られるというのとで、
今まで積極的に花火大会を見に行きたい、という動機は薄いほうでした。
誘っていただけたから、参加出来た場所でした。

 

沈まぬ大神殿、クメール王の憂い、天国の階段、

文明の十字路、霊峰、グレートバリアリーフ、宮島
など、7つのテーマでそれぞれ演出されました。


花火にストーリー、音楽が添えられて、
こういう演出、作品づくりは素敵だなと思いました。

 

よく、花火を上げる前に鎮魂について語られることがあります。

 

花火が鎮魂と同等に扱われるのは
高く高く空に昇るからでしょうか。

 

花火の写真は美しいものですが
私は、
花火が人の心のなにを動かすのかと注意深く見ていました。

 

 

歓声。
ひとそのものの熱感。
ひゅーと光の線が昇り、その軌跡がふっと消え、
2秒ほど・・、少し遅れて身体の芯に届く驚くほどの破裂音。
闇に咲く光が、隣のひとの頬を照らしだす様子。
これら全てが今日の花火とともにあるんだと思いました。

 

もっともっと昇れと
もっともっと高くと願う

 

もしかしたら、今が誰かの一生のすごく輝く一瞬なのかもしれないと思う。
もしかしたら、今が誰かの辛く苦しい心を癒し励ます一瞬なのかもしれないと思う。
今日は誰かの子ども時代にいっとう輝く日だったかもしれないと思う。

 

それを届けるひとの手がいくつもいくつもあった事実を想うこと。

 

そういういろんな所感が今年の私の花火の体験だったんだと思う。

 

開催のその時まで待つこと。
ひとびとのそれぞれの待ち合わせ。
大勢の人波の中で思うこと。
誰と見たのか、
静かに眺めたのか、
賑やかに騒いだのか、
どんな気持ちで見たのか、
それが全部花火の思い出になるんだと思った。

空が照らされて、観客席からにどよめきと歓声。


誰がはじめるともなく、
拍手が起こる。
キラキラと散らばるその造形。
光の三原色から離れた、甘めの色味が表現できることが不思議で仕方ない。
昇って昇って消えて・・その先に向けて集団の意識が一点に集まる。
集まっていく。
集まって、集まって、
緊張感の後の爆音と空中に散らばる光。

 

となりから聞こえてきた声は、
「いつなん?いつ開くん?みたいなヤツがスゴイんよね」
「ひらくとき、想像と違うのがひらくのがスゴイ!」
それぞれの感想って面白い!

 

 

花火は、映画や小説などで、
儚さの象徴としての装置になることがある。
今感じているこれが、儚さや脆さとは遠く感じるのは、

あまりにも主体的に身体全部で感じ切るからだと思う。

 

煙に燻される空、
火薬の匂い。

 

花火の合間、
真っ暗になった空には
ぱらぱら散らばる星。


月はすぱっと正中に割ったみたいな半月で、

みかん味の果汁グミみたいに、角が滑らかに丸くなっていた。

 

空を見上げて嬉しい気分になれるのは
嬉しい気分で一緒に見上げてくれるひとたちがいるからだった^ ^