「個性心理学を学んで、私はなにか変わったように思いますか?」
と、師匠に尋ねたことがある。
”あなたは、芯ができているから、芯の部分は変わらず、
流行のアクセサリーをつけて遊んでいる感じにみえる”
というような内容を話してくださいました。
(ああ、まさにそんな感じ・・・。)と思ったのを覚えています。
私が個性心理学に出会ったときは、
個性心理学を学ぶことで、「変わりたい!」という
大きな動機があったわけではなく、
こういうアイテムがあって、それで誰かになにかできたらいいなとか、
特技のひとつとして面白いんじゃないかな。とか、
これを勉強しているひとたちって明るくて楽しくて面白い~!お友達になりたいな。
みたいな感覚でした。
そう、そんな感じでも、
勉強しているうちに自分のOSが変わったというか・・・。
いろいろなものの見方が変わってしまう。
”私に、このひとに、隠されたミッションとは?すばらしいところは?”
”なにをするために、今生の生をうけたのかな?”
”今日はどんな意味のめぐり合わせで会えたのかな?”
人に会う、話す、話をきくポイントがかわる。
誰もが、そのそれぞれの見方でそれぞれの世界観を生きていることが
身をもってわかる。
悩んでいるひとに、こういうものがあるよ・・・もしよかったら・・・と伝えたくなる。
こういう見方もできるよ・・・って
個性心理学、
変わりたいと望んでいるひとにはおすすめしたい。たぶんすぐ変わる。
変わらなくてもいい・・・と思っているひとも・・・、たぶん、”思わず”変わってしまう。
「知ってしまったら知る前には戻れない」
---それがないと、ダメになるというのではなく、
”それを選ぶか選ばないか”を、選べる立場に立ててしまうという話。
もちろん選ばないのもOK。
美味しい料理。
見事な絶景。
上質な服。
居心地のいいソファ。
所有欲をそそるコレクション。
お金をつかってできること、手にできることはたくさんある。
もちろん、財布と相談しながら・・・だけれど、
そういうものがある、ということを経験すること自体、価値があること
ましてや、憧れの人がそれを知っていたり、身に着けていたりするのなら、
少しでも近づきたいのがサガ。
いいものを知ってしまったら、知る前には戻れない。
「考え方」を選択できるということも、嗜好のひとつかもしれない。
と、思う。
なぜ陽転思考ができるのか。
起きている事象自体は、ミゼラブルでも、前向きに立ち向かえるのはなぜか。
どのようにしてひとをしあわせにできるのか。
こころにやさしく触れるにはどのようにすればいいのか。
それを私はたくさん知りたく思う。
その方法は、べつに個性心理学に限定しなくてもいい。
色々なひとや旅でであう人生哲学や
あるひとは子育てや家族関係を通して
あるひとは仕事を通して
また色々な書物や芸術作品 映画や絵画 スポーツなどから
感じ、学ぶひとも多いことだろうと思う。
ISD個性心理学は、ビジネスに、子育てに、「使える」考え方のツール。ということを
アピールする。
昔々から続く英知がロジカルにまとめられているので、
「あたらしいものの見方」「考え方」を得るまでに辿り着く時間が圧倒的に短いため、
しる→わかる→ためす、の行動に移すまでが早い。という売りがあると思う。
個性心理学は、
思考の嗜好ともいえると思って今日これを書いている。
「どうせなら、よりよい人間関係を」
「どうせなら、笑顔あふれる時間を」
そういう、嗜好。
状況は変わらなくても、そこから受け取ってくるものが勝手に変わる。
何を信じるかはそのひとの自由。
ただ、自分自身を通じて立証していきたいのは、
この嗜好を買い求めるということは、変化してしまうということ。
行動だけがあなたを変える。
私が変えるのではなくて、あなたが勝手によいほうへ変化していってしまうから。
することや、したいこと、大切なものに勝手に気づいてしまうから。
物見遊山、とかるく足を踏み入れても、結局行動が変わってしまうことを通じて、
あなたは変わってしまうんだ。と、思う。
りきまなくても、驚くぐらい、自然なかたちで。
昨日までとモノゴトは何も変わっていないのに
全てが変わってしまう
トンネルから抜けたみたいな気分
オセロの色がパタパタと変わるみたいな気分...
ドミノが倒れて、何もなかったところに絵が浮かび上がるような気分
そんなふうにして扉は突然ひらく。
世界が変わるというのは
自分が変わるということ
「次の場所」は選べるし
そのドアはちゃんと開く
別のドアを選ぶのも自由で
好きなところに行ける。