タロットのお話
写真に上げたのは、
Tarot 「女教皇」「太陽」
「女教皇」
慎み深く、語らないものを持つ。
閉じられた扉の意味
奥の方で待つ。
叡智の蓄積。
秘密を尊ぶ心。
「太陽」
おおらかに、両手を広げて、受け入れ、かつ、受け入れられる。
開放の喜び。
交流を喜ぶ心。
私の2015年と私の2016年の象徴に感じます。
どちらも時期として大事なこと、経験すべきことと思います。
一人でしか行けない場所もあれば、
ひとりでは行けない場所も人生に存在する。
"やっと、どちらにも自分を連れて行ってあげられるようになった"、そう思います。
私は、身に起こる一場面をカードで例えることをよくします。
抽象から具体まで、タロットはイメージに溢れています。
カードの読み方は見者によって異なるし、
それぞれのカードの意味については大きなガイドラインはあっても定型はないものです。
「ただ、自分の感性に従い、そこにあるものをともに見つめる。」
それが、私にとってのカードの魅力です。
偶発性に対して、いま持ちうるものを目の前の相手のために差し出すという感覚、
感覚の贈与、
"いま、そこにしか発生し得ないもの"と、ただただ遭遇させられる体験。
それが魅力です。
「カードは恐い」という感想を聞いたことがあります。
「あらわれすぎるから」と。
カードは問うと答える。
それだけのことと思います。
死神、吊るし人なんていう名前を持つカードもあるから、
おどろおどろしく感じるかもしれませんが、
ただ悪いだけのカードというものは存在しないと思います。
それにつながる文脈の中に意味がある、そう思います。
昨夜、なぜ私はカードに惹かれるのか?と自ら問う経験をしたので、
いまの気持ちをここに残しておきます。