隣で静かな寝息を立てて眠っている智。
肩が毛布から出ている。
触ると冷えていて…そっと毛布を肩口まで引き上げた。
智がくすぐったかったのか少し身じろいだがそれから
少しするとまた静かな寝息を立て始めた。
ほっとしてそっとベッドから抜け出すと腰にタオルを巻
いてスマホを手に窓際にいく。
カーテンを少しずらして外をみる。
まだ夜明け前の街を見下ろしても見えるものはなんの希
望も感じられない闇の世界だった。
昼間見た時はあれほど鮮やかだった街の青も暗闇のな
かではその青さゆえに一層闇が深くなっているように
感じるのは…俺だけだろうか…
そんな奈落のような闇を見つめ乍ら電話をかける。
日本に…
此の時間なら日本に電話を掛けても…大丈夫だろう。
何度かコール音だけが響き…今回は諦めて切ろうとし
た瞬間にコール音が止んだ。
「…翔さん?」
「…松本……」
「今…少し話てもいい?」
「ああ、俺は構わないけど…」
「ありがとう」
「智くん…行っただろ?」
「ああ…来た」
「…なんだ不満そうだな」
「…不満だらけだ。なんで引き止めてくれなかったんだ
よ」
「お前自分勝手」
「…一人で逃げたから智くんが追いかけた。ただそれ
だけのことだ」
「……それは!」
「智くんの想いは決まってた。多分記憶が戻ったときか
ら…ただ、俺たち二人とも…吹っ切れていなかった過去
に捕われて答えを見失ってただけだ。だから…智くんは
お前の元へ帰っていっただけ。本来居るべき場所に自分
で…な」
「おまえ…智くんが記憶を取り戻さなかったら…どうす
るつもりだったんだ?」
「それは…」
「自分が居なくなった後のことを考え乍ら…それでも最
期まで智くんと一緒に居たんじゃないのか?」
「それは…」
「だろ?」
「いきなり真実を告げたって…記憶のない智くんには…
逆に酷だろ?」
「……」
「経緯はどうあれ、俺にも原因の発端はある。総てをお
前の所為なんかにはしないさ」
「ごめん、…翔さん」
「……」
「実は…お願いがあって」
「なんだよ、改まって」
「俺が…いなくなったら…大野さんを…迎えに来て欲し
い」
「…断る」
「なんで?」
翔さんからは想いかけない言葉が返ってきた。
「 大野さんが…本当に心の底から想ってるのは…俺な
んかじゃない…翔さんだ。だから…迎えに来てあげて…。
大野さんの性格じゃ…戻りたくても戻れない…、戻らな
いと思うから」
俺はカーテンを閉め出窓部分に腰掛けた。
「戻る戻らないは智くん自身が決めることだ、松本」
「でも…」
「大丈夫、俺はこの先もずっと智くんを想い続けるから…
お互いの想いが同じなら…いつかまた…巡り合えるって
想ってるから」
「そんなの…」
「昔…約束したことがある…。智くんがその記憶を取り
戻してるかは分からないけれど…俺と…智くんに本当の
『縁』ってヤツがあれば…その時は…もう二度と離さな
いけれど…今はその時じゃない。だから…おれは待つこ
とにしたんだ」
「…翔さん」
「ごめん、お前が早く…なんてそんなこと此れっぽちも
思ってないから。負け惜しみなんかじゃない。俺にとっ
てもお前は大事な仲間だ、そうだろ?」
「…ありがとう…」
こんな俺を今も仲間だって…思ってくれて…
必ず…返すから…翔さんのもとへ…
俺が…あの世ってやつに逝ったら…
必ず…返すから…
「あ、それからこれからどうすんだ?其処に暫くいるの
か?」
「多分そうなると思う」
「病院には?」
「大丈夫、ちゃんと行くから」
「そっか。なんか必要なことがあったら…遠慮せずに連
絡しろよ。俺が気まずいならニノでも雅紀でもいいから
…二人とも…心配してるから」
「うん…うん…ありがとう、翔さん」
電話が切れて暫くすると外が微かに明るくなって来たよ
うな気がしてカーテンを再度少しだけ開ける。
其処には昇り始めたオレンジ色の太陽の光が劇的に街の
色を変え始めていた。
未来を感じさせるその光景に俺の心が少し軽くなった。
まだ大丈夫。
まだ…大丈夫、
俺は…まだ大丈夫。
呪文のように繰り返す
そして…思い出した。
あのプラハで、俺が祈ったこと。
『智が倖せでありますように』
智はどんなことを願ったかは分からない
でも…智が何気なく言ったことが今になって頭の中を
駆け回っている。
智は…以前翔さんとプラハに来たことがあったらしく…
もちろん戀人同士だった二人だ…
二人がどんなことを願ったかなんて…容易に想像出来る
だけに…翔さんの言った約束も想像がつく。
あの日…時間がなくて…
掛けることが出来なかった南京錠も…
必然だったのかもしれないと…
そんなことを思った…
智…
愛して…
ごめん。
こんなにも…
愛してしまって…ごめん。
もう少し時間貰うよ。
そして…
総てが終わったら…
俺が必ず…
翔さんのもとへ返して…あげるから……