今回の教書は、あらためて法華経の心に救われる気持ちにさせていただきました。

 

 

特にここの部分↓です。

 

【法華経は成仏への道筋を「従果向因」という教えで説明しています。

不完全から完全を目指していこうとする「従因向果」ではなく、すでに本来完全な状態からよりその状態を輝かせて上積みしていくという「従果向因」を教えるのが法華経です。(「従因向果」も肯定して包含したのが本当の「従果向因」です)

修行の最終目的として悟りを得、仏身を完成(魂を進化)させるということは無論大切です。

しかしその目的(結果)を目指しながらも、その過程(努力・希求)こそが最も重要なことであり、それこそが成仏の姿であるという思想に転換したのです。

目的(結果)を目指すその過程のプロセスである、正しい一歩一歩が(たとえ現象的には不完全で矛盾に満ちていても)それ自体、完成形であり、完璧であり、その過程そのものが成仏であるという地平を示したのです。

私達の生命は常に動であり、ダイナミックに変化躍動しています。

生命に結果はありません。

生まれ変わり死に変わりを続ける私達の生命は、その本質から言って、常に過程の中にあるのです。

私達は生きている中で大事小事の何事によらず、何かの目的を持ち、その目的を達成するために努力します。

その目的を達成することはもちろん大切ですが、大事なのは目的に向かって懸命に努力することです。(それであってこそ結果は自ずと得られるものです)

成仏という到達点(ゴール)への階段を幾世もの生まれ変わりを繰り返しながら登っていくことは(それも一歩前進二歩後退の凡夫の有様として)、「日暮れて道なお遠し」の落胆と絶望を生み出すしかなくなります。

言い換えるとそれは成仏(完全)に向かっての「今」が常に完璧であり、最大事であるということを法華経は教えているのです。】

 

 

 

この法華経の捉え方こそ、お釈迦様が「皆我が子なり」と、おしゃっていただき、

 

皆をそれぞれの環境で導いてくださっていることが、素直に自分の中に入ってくるようでした。

 

だからこそ、失敗も失敗ではなく、その経験も自分の糧である。

 

言葉では理解できていても、今は未来の為にあるという漠然とした「今」だったのかも

 

しれないとも思えてきます。

 

【「今」が常に完璧であり、最大事である】ということは、

 

未来の為の犠牲の今ではなく、今の瞬間を生きることに集中するという感覚に変化します。

 

また

 

【・・・

つまりこのことは「今」という時間は一切の過去世と一切の未来世を含んだ永遠(無限)

であるということ。

「今」の一瞬しか「永遠」に触れることはできないという釈尊はお示しであるのです。】

 

 

という文章には、「今」が如何に貴重であるかを肌で感じれるような感覚があり、

 

感謝の気持が湧いてくるのでした。

 

「今」という感覚を

 

「今の一瞬しか永遠にふれることができない」とすると、

 

今の一瞬が、微塵の刹那であっても、尊くキラキラと輝くような気がいたします。

 

そして、こんな自分でも「今」をいただけているということは、

 

なんて有難いことなんだと思えてくるのでした。

 

 

 

 

法華経のこの心は、わかっていたつもりで、わかっていなかったような・・・

 

いや、聞いたことある言葉だけど、今までとは全く違う感覚で、

 

新たに教えていただいたような・・・・。

 

この貴重な感覚を忘れずに、日常に励みたいものです。

 

凡夫の身ですので、この有難い教えを 忘れて、また業に振り回されそうになったら、

 

この言葉をその都度思い出して、またスタートしたいです。

 

「今」に感謝です。

 

そうすると、周りの人に感謝の気持が湧いてきます。

 

 

 

そして、今日ここで拝ませていただくと、

 

お釈迦様が問いかけられたような気がしました。

 

「感謝が足りないのでは・・・」と。

 

その瞬間

 

「あーいろんな人に、いろんなことに、私感謝が足りないのかな。」

 

という気づきをいただいた気がいたします。

 

そんな 今日のお参りでした。

 

本日もここで拝ませていただけたことに感謝いたします。

 

そして、最近自分の拝みのルーティーンは、

 

「感謝」と「懺悔」と

 

「能登半島地震やウクライナ、エルサレムの被災者の方々の環境が少しでも良い方向に

 

向かうように」と、拝まさせていただいています。

 

被災された方々にも、尊い「今」。

 

未来につながる「今」であるはずです。

 

辛すぎて、そう思えないかもしれないけれど、日々の暮らしの中で、

 

少しでも穏やかな瞬間が得られるよう願って止みません。