今月の法話の会の教書は、「感謝」と「懺悔」のお話でした。
【・・・感謝は親や先祖、周りの人々や社会への感謝は無論のこと、
それらも含んでやはり根本的には目に見えない「大いなる(神仏)」
への感謝が根本的なものでしょう。 ・・・・ 「生かされている」ということは
安心してこの世を私は私として私らしく、自分の道を進んでいけば良い
というお墨付きでもあります。・・・・】
毎月、教書には何か自分の心の奥の窓を開けていただけるような
文章を書いていただけます。
今月のこの「感謝」の心の部分を読んだときは、筆舌に尽くしがたい
生きる喜びのような感謝の気持ちが沸いてまいりました。
【・・・私達は普段から他人ばかりを気にして、他人と比べてばかりで、
自分自身を見つめることを避けています。
例えば嫉妬なら嫉妬という、自分の沸騰した悪感情を人に負けたくない
プライドやら口惜しさやら、自我我執によってごまかすように見ない
ようにして、自分の気持ちを冷静に直視できません。
自分で自分の悪感情をその場で蓋をし、見ないふりをし、他人のせい
にして、誤魔化したつもりでも、自分の良心は誤魔化すことはできま
せんから、不幸感は以前より間違いなく強まっていきます。
でもここに全てのカギが存在しているのです。
自分自身を見つめることは運気を高め、他人の存在を意識から捨象し、
かっこ悪い自分の傷口をあえて受け止め、味わい、逃げ出さないこと、
誤魔化さないこと、他ならぬこの自分のために自分自身に集中する
ことです。 他人は関係ありません。
すべてこの自分がどうなのかということ、それが感謝と並んで大事
なもう一方の「懺悔」の本質であり、自分をみつめること、自分を大切に
することなのです。・・・】
【・・・ 自分の弱さや欠点を静観すること自体、本能的に逃げて誤魔化
してしまう自分の中の苦しい感情から逃げずにジッと同居すること
自体が業因縁を切断している最中であり、ひいては心の深い喜びだと
私達は考えましょう。・・・】
一般的に「懺悔」と聞きますと、警察にお世話になるような行動や
明らかに人を傷つけたことをすると懺悔が必要になるのかと思
われる方も多いかもしれません。
ここで表現する「懺悔」とは、人としてこの世に生をうけて「魂」の成長
をしようとするのを妨げるような行い、心(悪感情)が、懺悔の対象
となるということです。
例えば、「恨み」「妬み」「憎み」などは典型的な懺悔の対象となる悪感情です。
難しいのは、そうとはわかっていても自分がその悪感情に犯されている
かどうかを認識できるかどうかということなのかもしれません。
知らず知らずのうちに自分の「いのちのくせ(業)」のままに感情をむき出し
にし、省みることなく自分の良心を誤魔化していくことほど、自分の魂を
いじめて傷つけることは、「懺悔」とは程遠い感情であります。
また、その省みない誤魔化した心は、必ず遺伝子に刻まれて、
これからの自分に「負」の要素として降りかかってくるということです。
文字づらでわかってはいても、突然目の前に現れる自分の中の悪感情。
そこに目をそむけずに、しっかり向き合っていくことが、
懺悔の本質であるということを改めて気づかせていただきました。
「感謝」の心をもてるようになると、自分の悪感情とも素直に向き合えて、
それが魂の成長へのきっかけとなる「懺悔」の本質である。
つまり、合掌をして拝むことだけが懺悔ではないということなのです。
日々の普通の生活で、飛び出てくる自分の悪感情と向き合う事こそが、
懺悔の一歩である。
とても、意味の深い言葉をいただたと感じています。
現代、ネットを開けば、仏教とは何ぞやとか、スピリチャルの世界とは・・・など、
すぐに言葉を閲覧できるのですが、自分が感じるには、この会で書いていた
だいた教書ほど、心の芯を捉えて、拝むことと生活が一体であることの普遍性を、
わかりやすく書かれているものは、まず他に見ることがありません。
自分が通っている法華経の御宝前だからわざわざ持ち上げているの
ではありません。
自分でほんの少しネット社会の仏教の世界を閲覧し、読みたい本を
ちょこっと読ませていただいている中で、日々の生活を通し素直に感じることです。
そう感じることができるここの法華経に出会えたこと、
また法華経の心に導いてくださったU先生とのご縁に感謝いたします。
どこに所属しているから正しいとか、正しくないとかいう時代は疾うに
終わり、人が人として成長していくために、どのように生きて行ったら
よいかという「真理」は、どこに生きていても、どんなお参りをしていても、
変わらないでしょう。
世界的にも先日、安倍総理が真珠湾をオバマ大統領と訪れて慰霊をされ、
その演説の模様が中継されていました。
「・・・誰に対しても悪意を抱かず、慈悲をもって接する・・・」というリンカーン
の言葉を引用した安倍総理の言葉。
世界中を巻き込んだ世界大戦の敵同士でも、分かち合える「オタガイノタメ」
というオバマ氏の言葉が印象的でした。「お詫び」そのものの懺悔の言葉は、
オバマ大統領の広島訪問時と同じように今回も安倍総理は発しませんでした
が、真珠湾を攻撃してから75年にして初めて日本の総理大臣が慰霊
の心をもってハワイを訪問したことは、歴史的に画期的な出来事です。
世界の状況は刻一刻と変化しているんだなぁ~とテレビを通してでも思います。
しかしだからこそ、人が生きるという真理は、普遍的であることを感じずにはいら
れない一コマでありました。
また生きる真理を心に生きていこうと思えることは幸せなことだと感じます。
そして、「感謝」と「懺悔」をもって一個人の自分の魂の成長をしていける
という明るい希望は、世界平和へもつながっていくという希望の光であります。
「一隅を照らす、これすなわち国宝なり」という言葉を思い出します。
本年もたくさんの皆さまに「いのちの納得」ブログを閲覧していただき、
ありがとうございました。
心より感謝いたします。
自分自身の精進と共にブログを担当させていただいていることに
心より感謝いたします。
皆さまからのブログ記事投稿も機会がありましたら、
宜しくお願いいたします。
皆様のご多幸を願い、今年のブログを締めくくらせていただきます。