東京最古の天婦羅屋だった橋善は2002年に閉店。
天保3年に新橋で屋台として開業した人気店だったが、素材に拘っ為に人気商品だったかき揚げ天丼の価格が高騰し、客足が減った事によ閉店を余儀なくされたらしい。

かき揚げ天丼は残り物の天だねをまとめて揚げたものを丼飯にのせた賄い飯だったようだ。
これを売り出した所、大人気商品になった。

明治5年に7銭で売り出したかき揚げ天丼は江戸の名物となる。
天丼の起源は諸説ある。
現存する最古の天婦羅屋「三定」だとする説。
それと橋善のかき揚げ天丼説である。

少なくてもかき揚げ天丼は橋善が元祖である事は間違いない。
鰻丼や天婦羅蕎麦と違い天丼の歴史は意外に新しいようだ。
私は一度も橋善に行った事がない。
それが悔やまれる。
何といってもあの12センチもある巨大なかき揚げ天丼を食べる自信がなかった。


それでも今はなき向丘の天安や本郷の天満佐に行けたのは幸運だった。
もう都内でも旨い天丼を食べさせる店は少なくなった。
小体な天婦羅屋はほぼ絶滅。
天婦羅といえば超高級店かお座敷天婦羅の上方天婦羅。
はたまたてんやのようなファーストフードである。
天丼や天婦羅一本の橋善が生き残れる訳がなかったのである。


銀座の天一や天國はチェーン店化する事で生き残った。
天一などは胡麻油ではなくコーン油で揚げている。
こうなると江戸の天婦羅とは呼べないだろう。
私はお座敷天婦羅も天婦羅定食なるものも好きではない。
天婦羅といえば天丼一本である。
揚げたての天婦羅も悪くはないが、ご飯にのって少ししんなりした天婦羅が好きだ。
酒を呑むなら天丼を食う前に呑む。
天丼が出て来たら脇目も振らずかき込む。

橋善のかき揚げ天丼はどんな味だったのだろうか。
もう想像するしかないのである。