「バック・ビート」はハンブルグ時代のビートルズを描いた映画である。
全く無名だったビートルズにとってハンブルグ時代は過酷なものであった。
しかしその過酷な環境の中でバンドは急成長して行った。
インテリアから初めて認められたビートルズは有頂天になった。
2人は一緒に暮らし始め、ステュはバンドを脱退する事になる。
しかし既にジョンは既婚者だった。
家庭的でビートルズが有名になっても慎ましい、正に良妻賢母を絵に描いたような女性だった。
しかしジョンはシンシアに物足りなさを感じ始めていた。
ジョンに殴られた後遺症という噂もあるが定かではない。
戯けた仕草でアストリッドに駆け寄ったジョンやポールはステュの死を告げられると言葉を失い、凍りついたという。
ピート・ベストは号泣し、ポールはアストリッドを抱きしめ、ジョンは涙が出るまで笑い続けた。
特に親友を失ったジョンの衝撃はいかばかりだったか。
ジョンとジョージの表情には悲しみというよりも魂を抜かれたような虚無感が漂っている。
アストリッドのビートルズのポートレートは貴重である。
アストリッドのビートルズのポートレートは貴重である。
陰影を生かしたポートレートはその後のビートルズのアートワークにも確実に影響している。
クラウス・フォアマンと同じ髪形にしてくれとビートルズのメンバーがアストリッド頼み込んだ事によって始まった。
写真を見るとピート・ベストだけがリーゼントのままである。
小野洋子に無名時代に出会ったアストリドの影を見るのは私だけだろうか。
何でもジョンの真似をしたがるポールらしいのだが、上流階級出身で写真家というリンダの経歴はアストリッドと全く同じである。
これは単なる偶然なのだろうか。
実はアストリッドを手に入れたステュにポールは激しく嫉妬したという話がある。
ジョージは当時17歳の子供だし、リンゴはまだビートルズのメンバーではない。
ビートルズはアストリッドと出会わなければ違った道を歩んだ事だろうし、あれ程巨大な存在にはなっていなかったのかもしれない。
ビートルズにとってアストリッドとの出会いはブライアン・エプスタインやジョージ・マーティンと並ぶ重要なものだったのである。
アストリッド・キルヒャーさんは5月12日に故郷のハンブルグでお亡くなりになりました。
享年81歳。
心よりご冥福をお祈り致します。