竹内まりやのプラスティック・ラブは結婚、出産後の1984年に発表されたアルバム「 Variety」の中の1曲。

そのプラスティック・ラブは海外によるシティ・ポップ再評価のきっかけとなった曲でもあるのだ。


アイドルの様に売り出された竹内まりやは山下達郎との結婚を機にその才能を一気に開花させた。
Varietyに収められた曲は、後に竹内まりやの代表曲と呼ばれる曲が連なっている。

1984年といえばアイドル歌手岡田有希子のデビューシングルの「ファースト・デイト」やアルバム「シンデレラ」への曲提供を行った時期でもある。
竹内まりやはアイドルのヒットメーカーとしても名を馳せるのである。
岡田有希子のデビューアルバムに提供した4曲は全て傑作。
当時の竹内まりやの才能の爆発は驚異的である。

その後の竹内まりやは主婦業の合間に時折アルバムを発表するなど、マイペースで活動を続けている。
しかし今、その音楽活動を見渡してみると、やはり1984年が才能のピークだったような気がする。

プラスティック・ラブに話を戻すが、山下達郎のアレンジも素晴らしい。
とても1984年の作品とは思えない普遍性がある。
当然、竹内まりやの曲や歌唱にも同じ事がいえる。


1984年といえばバブルの遥か前である。
プラスティック・ラブの歌詞は、その後に訪れるバブル期の女性像を先取りしている。

リアルタイムに山下達郎や竹内まりやを聴いていたが、山下達郎の先鋭的な音作りに息が詰まった記憶がある。
思えば山下達郎が尖っていた時代である。
しかし今ではそれが左程気にならない。
やはり山下達郎の音楽にも普遍性があるのであろう。
プラスティックラブの魅力は山下達郎のバンドの演奏によるところも大きい。


特に伊藤広規と青山純のリズムセクションの演奏は凄まじい。

山下達郎もコンサートでプラスティックラブを演奏している。
これが実に素晴らしいのである。

竹内まりやのライブでは山下達郎がギターのカッテングをしながらプラスティック・ラブと連呼するのだが、その迫力に竹内まりやも良いところを持ってかれたとぽやく始末。

やはり山下達郎と竹内まりやはシティ・ポップのキングとクィーンなのである。
米国ですら顧みられなくなったアメリカンミュージック。
それをアジアの片隅の日本で大切に育んだシティ・ポップ。
再評価されて当然なのかもしれない。

プラスティック・ラブ /  竹内まりや
プラスティック・ラブ /  山下達郎
プラスティック・ラブ  /  山下達郎&竹内まりや