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小津安二郎の「東京暮色」を見た。
以前東京暮色のレーザーディスクを所有していたが、全く記憶がない。

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東京暮色は小津最大の問題作であり、かつ失敗作だといわれている。
しかし問題作、失敗作といわれる東京暮色には小津の隠された一面が色濃く出ている。
東京暮色はシナリオを書いている時から小津と野田高吾が激しく対立。
野田はシナリオの協力を拒んだという話すらある。
野田の娘、玲子は「小津さんは東京暮色の時は凄く乗ってやっていたわね。お酒の時小津さんは野田さんがやってくれなくて困るんだよと何度もこぼすの」と当時を振り返っている。

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そして「小津さんはもっと激しいものを表に出したいと思っていた。もっと父以外の人と仕事をすれば、もう一つ良いものを作ってたのではないか」とも語っている。
しかし野田は生涯小津を手放さなかったし、小津も他の脚本家とシナリオを書くことはなかった。
東京暮色が成功していたら、違う小津を見ることが出来たのではないかと思うと残念でならない。

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東京暮色は元々岸恵子をイメージしてシナリオが書かれた。
しかし雪国の撮影が延びた事から岸恵子は参加不能になり、有馬稲子が代役になっている。
小津は岸恵子を高く評価しており、非常に残念がったという。
岸恵子は早春で小津映画に初出演。
早春は大傑作ではないが、若い女性を通じて現代社会を描きたいと願っていた小津には岸恵子は格好な素材であった。
そして早春は小津の新規軸となった作品になった。
本来であれば東京暮色はその第二弾になるはずだったのである。

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東京暮色の有馬稲子は単に暗い若い女性にしか見えない。
シナリオ通り演技しているのだろうがプラスアルファーがない。
岸恵子であればもっと違った豊かな女性像を表現出来たのではないか。

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少なくても有馬稲子のような陰々滅々な女性像にはならなかったであろう。
岸恵子の不在により最初から東京暮色は呪われた映画になる事を宿命づけられていたのである。
シナリオも野田高吾が協力しなかった影響なのか、説明的で単にストーリーを追った単調なものになっている。
小津にしてはテンポもセリフも早い。

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しかも唐突な主人公の自殺など小津の映画にしては過激なストーリーで、しかも全く救いがない。
前田英樹著「小津安二郎の喜び」の中で明子の死は鉄道事故ではないと断言している。
だとすれば堕胎の影響なのだろうが、その辺りが描けていない。
小津は東京暮色を時間的な制約が大きく、ゲラの段階で発表してしまったと悔やんでいたという。

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原節子は東京物語以来の出演なのだが、一度も笑顔を見せない暗い女として描かれている。
マスクをさせたりと小津は徹底的に原の美しさを剥ぎ取り、不気味な女として描いている。

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その原は夫と不仲で父親の笠智衆演じる周二の家に乳飲み子を連れて出戻っている。
晩春の父娘のその後を見ている気がするのは私だけだろうか。
作家で東京物語の助監督だった高橋治は「絢爛たる影絵」で東京暮色と風の中の牝鶏の共通点を指摘している。
素材の暗さ、姦通、時代風俗への密着。
高橋はこの辺りに小津の素顔が垣間見られると指摘している。
同感である。
野田高吾も風の中の牝鶏を批判している。
風の中の牝鶏を批判していた野田もまた東京暮色の中に風の中の牝鶏的な物を見たのであろう。
東京暮色は蓮を描く事で泥中や根を表現する小津が、珍しく泥中と根を描いた作品となってしまった。

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與那覇潤氏の著書「帝国の残映」の中で戸田家の兄妹の天津、宗方姉妹の大連、東京暮色の京城と合わせて志賀直哉の暗夜行路の影響を指摘している。
さらに東京暮色は戦後最大の失敗作と断じられながら、帝国と家族の矛盾を描かざるを得なかった点に小津安二郎の真摯さを見たいとも述べている。
「父の京城への赴任、母の出奔とシベリアからの帰還、次女の死での舞台となる中華料理屋には沖縄民謡が流れ、責任を追及された母親は北海道へ旅立つ。
明治日本が新たに獲得した領域への言及を散りばめながら、しかしそのような拡張がはたして幸せなものであったのか、むしろ身の丈に合わぬ背伸びによって、日本人の愛する世界は自壊したのではないかと、かっての帝国の兵士・小津安二郎は問いかける」と與那覇氏は新たな視点から小津を見つめ直している。

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東京暮色は北海道に発つ山田五十鈴が見送りに来てくれるのではと淡い期待を抱きながら汽車の窓から娘を捜すのがラストシーン。

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このラストシーンは響きわたる明治の校歌と相まって秀逸。
小津組の制作主任の清水富二は早稲田出身で早稲田にして下さいと頼んだら、小津は頑として「いや、明治だ」と譲らなかったという。
明治の豪快な校歌が、娘を待つ母の不安と焦りを掻き立てる効果を狙ったのかもしれないが、明治という時代の終わりをも表しているのではないだろうか。

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東京暮色を見ると小津調と呼ばれる物の実体は野田高吾の物だったのではないかとも思えて来る。
小津は実は内の中に過激さを秘めていたような気がする。
小津は周期的に破壊的な作品を発表している。
その最たる物が東京暮色なのである。
野田高吾は東京暮色を酷評したが、小津は「東京暮色は良い作品ですと言い返したという。
しかしキネマ旬報で年間ランキング19位に沈み、小津は自嘲気味に「俺は19位だからな」とボヤいたらしい。

やはり東京暮色は失敗作だとしかいいようがない。

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繰り返すが岸恵子の不在が大き過ぎた。
東京暮色が成功していれば早春→東京暮色に続く系譜の小津映画が見られたかもしれない。
しかし巨匠の地位を確たるものにしながら、新しい表現を追求した事はもっと評価されてもよいと思う。
原節子が紀子三部作で演じた女性には絶えず戦争の影が指していた。
しかし小津が晩年に描きたっかったのはアプレゲールを通しての当時の日本社会。

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早春で岸恵子、秋日和で岡田茉莉子、秋刀魚の味で岩下志麻とようやく手駒が揃いながら、突然の早すぎる死によってそれは叶わなかった。
松竹の女優でありながら岸恵子が出演した小津の映画は早春一本のみである。