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江藤淳、19年目の回想。
「大江健三郎との対談を読み返して」を読む。

大江
「若い人間の運動がある頂点に達した時、一種の集団的なテロ行為に移る事は、ぼくは非難されるべきではないと思いますね」。
大江
「銀座のデモ行進をみんな見ているわけだ。男の子が女の子に全学連だよと教えている。こういう無関心派には反省を求める必要がある」。
大江
「岸反対派の人間がいて、学校でデモが行われているのに参加しないのは男らしくないと思う」。

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当時の大江の傲慢さには呆れ果てる。
テロ行為は断じて認められないし、暴力は絶対に是認出来ない。
こういった論調が赤軍派などの暴力を生む土壌になったのではないのか。
現在の辺野古での反対派の暴力行為をマスメディアが見て見ない振りをしているのも、権力に対抗する為には暴力やむなしと考えているからである。
羽田闘争当時の反権力に対する暴力是認の報復姿勢を今日でも持ち続けているのが日本のマスメディアの正体。

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江藤淳は「私にとって政治は殺すものではなく、生かすものでなければならなかった。つまり、集団の生存を維持する為の調整技術というべきものが、私にとっての政治の定義だった」と語っている。
正に正論である。
しかし左翼が圧倒的な影響力を持っていた日本においては江藤淳は過小評価されて来た。
江藤淳は保守反動の烙印を押され続けて来たのである。
それは今日でも続いている。
方や大江健三郎はノーベル賞受賞。
江藤淳は全集すら出されていない。

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この文章の中で江藤は「アメリカン・デモクラシーは相互に相対化し、中和させ、均衡を与えることによって、とにかく多元的な価値観を許容する社会を維持することに成功しているかのように見えた」と述べている。
江藤淳は今のアメリカを見たらどう思うのだろうか。
良い時代に生きた人だったのかもしれない。
江藤淳は妻を亡くし、その後に妻の後とを追かのように自殺。

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妻の闘病生活を綴った「妻と私」と未完に終わった「幼年時代」は珠玉の名作。
これらは既に評論でもエッセイでもない。
文学に昇華しているのである。