Amazon videoで四季奈津子を見た。
イメージ 1

五木寛之原作で監督は東陽一。
呆れ果てるほどの愚作であった。
少しオツムの足りない飛んでる女の物語。
イメージ 2

しかしその中で詩人の田村隆一が出演しているのには驚いた。
一人で喋るのだが、その話しぶりの流暢な事!
とても演技とは思えない。
どうも好きに喋らせているようではあるのだが。
田村隆一は稲村ヶ崎に住んでいたのだが、一時期材木座に仮住まいしていた事があった。
イメージ 3

その時には毎日のように萬屋酒店で角打ちをしていたようだ。
イメージ 4

今でも萬屋酒店では夕方になると常連が角打ちをしている。
私は萬屋酒店の目と鼻の先に住んでいたのだが一度も入った事はない。
近いと行かないものだ。
しかも排他的な感じがして入り辛い。
ここには種村季弘も来ていて最後のエッセイ集「雨の日ソファで散歩」の中でも萬屋酒店で田村隆一と角打ちをした事を懐かしく語っている。
「田村さんが材木座にいらっした頃は良かったなあ。漁師が行くような地元の酒屋で、二人で金出し合って酒買って缶詰空けて、あとは延々と飲んでた。あの頃 
は最高だったねえ」
これは種村が亡くなる直前の口述筆記である。
イメージ 13

私は田村隆一と種村季弘の酒のエッセイが好きだ。

田村隆一はウイスキーの風景というエッセイにこう書いている。
イメージ 11

ウイスキーは、ぼくにとって旅のような気がしてならない。
金色の不定形の液体が、ぼくの暗くて細い喉をしずかに流下すると、魂という、これもまた不定形な物質に光とリズムをつたえ、ぼくをして、この世が、われわれともに永続しかねないという楽天的な観念の囚人たらしめ、あるいはまた不死という絶望と暗黒の地獄の詩的道案内にもなってくれる。
そのとき、金色の不定形な液体の力は、旅の車窓をかたちづくり、つかみどころのないわが魂に、強靱にして繊細な形式をあたえてくれるのだ。
イメージ 12

流石は詩人である。
ウイスキーが飲みたくなる文章だ。

屋台というエッセイでは
イメージ 7

イメージ 15

ぼくの青春は新宿の屋台、それも焼鳥という名の豚の臓物からはじまった。
あの炭火で焼かれた串刺しの肉の青い煙と焼酎の匂いとが渾然一体となって、わが魂を燃え上がらせるのだ。
それも夕闇があたりにたちこめてくる灯ともしごろ。
イメージ 8

世の中がおちついてくると、ぼくは屋台でおでんと日本酒の冷や酒をコップで飲むようになる。
焼鳥には焼酎、おでんには日本酒。
これがぼくの屋台哲学である。
イメージ 9

イメージ 10

私も概ね同意見だが、おでんには断然燗酒である。
イメージ 5

田村隆一は既に鎌倉でも忘れ去られている。
そういう私も暫く田村隆一を読んでいない。
忘れ去るには惜しい詩人だ。
私は田村隆一のエッセイを数冊自炊して保存している
イメージ 14

それにしても田村隆一はダンディだ。
こんな老人になりたいものだ。
イメージ 6

今宵は久しぶりにウイスキーを飲みながら田村隆一を読む事にする。