大船撮影所前の食堂に関しては以前ブログに書いたが、新たに判明した事もあるので、新たに書いてみたい。

松竹大船撮影所は町工場の多い蒲田では騒音がトーキーの撮影に差し障るという理由により、1936年に大船に移転。
当時の大船の繁華街は大船観音側。
大船撮影所付近には何もない田舎。
撮影所内にも食堂はあったが、舌の肥えた俳優や映画人を満足させる為に、多くの飲食店が開業した。

今でも営業しているは浅野屋、レストランミカサ、でぶそばの三店だけになってしまった。
レストランミカサも数年前まで当時と同じ場所で営業していたが、ある日歩いていたらミカサが駐車場になっていた。
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ミカサも閉店かしたのかと思ったら、振り返ったら道路の向かいにミカサがあるではないか。
向かいに移転したのだが、店舗は新築したにも関わらず、昔の店舗と見分けが付かない。
狐につままれた気分ただった。

当時と同じ場所で営業しているのは今では浅野屋のみ。
昨年には男はつらいよにラーメンを提供した「こみや飯店」が閉店。
寂しい限り。

大船撮影所前の食堂というと松尾食堂と月ヶ瀬が有名。
小津組が月ヶ瀬、松尾食堂は木下組と縄張りがあった。
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松尾食堂の看板娘だった山本若菜さんが書いた「松竹大船撮影所前松尾食堂」という本は大半が有名人との付き合い自慢だが、今となっては貴重な資料だ。
松尾食堂のライバル月ヶ瀬の看板娘は当時の大スター佐田啓二の妻になる中井益子。
中井貴恵と中井貴一の母。
小津安二郎は益子を私設秘書のように連れ回した。
佐田啓二の結婚式の仲人は独身の小津安二郎と木下恵介。
結婚式後に小津安二郎は泥酔し酔い潰れたらしい。
益子に対する小津安二郎の密かな思いが垣間見られるようだ。

松尾食堂は当時は撮影所の門の真ん前。
現在はマンションになっている。
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月ヶ瀬はレストランミカサの隣の松竹離山通りに面した角地にあったらしい。

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その月ヶ瀬の松竹離山通りの向かい、現在はイトーヨーカ堂の駐車場辺りに「でぶそば」と松竹ホール、グールメがあったらしい。
松竹ホールとグールメに関しては詳しい事は分からなかった。
でぶそばは現在は資生堂工場前に移転、現在も営業中である。
現在は先代の妻と二代目が親子で店に出ている。
二代目はデブではなく激痩せ。
店内には渥美清のサインが飾られている。
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先代は決して渥美清にサインを求めなかったが、渥美清が置いていったそうだ。
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この店には寅さんセットというメニューがあるが渥美清が好んだ半ラーメンと半チャーハンとシュウマイのセット。
以前は1030円でトラサンだったのだが、消費増税後に値上げしてしまった。
昔懐かしいラーメンが旨い。

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浅野屋は創業大正11年。
元々は蒲田で営業していたが、松竹撮影所が大船に移転した際に昭和14年現在の場所に移転したらしい。
土地は松尾食堂からの紹介のようだ。
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この店は老舗ながら敷居の低い、居心地の良い街の蕎麦屋。
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銀座のよし田を思い浮かべると良い。
蕎麦は街の蕎麦屋としては文句ないレベル。

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レスランミカサは堂々たるレストラン。
松竹の役員が利用したレストラン。
渥美清もこの店を愛し、渥美清が食事をする部屋もあったそうだ。
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この店の名物はカツメシ。
映画スタッフが出前する際に立っても食べられるようにライスとカツを一皿に盛ったもの。
お調子者が注文したのが広がったのだろうが、熱い時代を垣間見る事が出来るメニュー。

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こみや飯店は去年まで営業していたが閉店。
女主人は今でも見かけるので、今でも店舗の二階に住んでいるのだろう。
私がこの店に行き始めた頃はボロボロで壊れそうな店舗だった。
数年前にリフォームし、何故か料理人も変わってしまった。
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ラーメンも炒飯も旨く、ボリュームもあり人気店だったので、女主人がご高齢の為に閉店したものと思われる。
個人的には良く利用した店なので非常に残念だ。

大船撮影所が閉鎖して15年が過ぎた。
大船撮影所の閉鎖は古き良き時代の終焉でもある。
大船撮影所縁の店も少なくなって来た。
今のうちに出来るだけ記録を残しておきたくペンを取った。