小津は早春で小津は岸恵子を起用し、当時の若者を描いた。
早春は大傑作ではなかったが、小津の新機軸となる作品となった。


小津は岸恵子を通して、当時の若者文化と変わって行く戦後の日本社会を描いたのである。
それはある程度成功したといっても良いだろう。

小津は戦争の影を引きずる、しかも既に娘役を演じる事が困難になった原節子から、アプレゲールの岸恵子への乗り換えに成功したのである。
そして野心作である東京暮色を撮る事になる。
小津は「いままでは劇的なものを避けて、なんでもないものの積み重ねで映画を作って来たが、今度は芝居を逃げずに、まともに芝居をぶっつけるという作り方をしようと思っている」と並々ならぬ決意を示している。
小津が主題としたのは不倫である。
風の中の雌鳥、早春と同じテーマ。
小津は「正調の大船調とはこれだ。それが僕がこの映画を作る魂胆さ」と凄まじい自信を見せている。
しかしこのシナリオ作りに、野田高吾は非協力であった。
風の中の雌鳥の失敗を東京暮色の中に見ていたのだろう。
小津は予め役者を決めてからシナリオを書く。
主役は早春で当時の放埒な若い女性を見事に演じた岸恵子。
岸恵子でなければ東京暮色は成立しないのである。

しかし雪国の撮影が延びた為に急遽降板。
有馬稲子が主役を演じる事になった。
この主役交代が東京暮色のケチの付きはじめなのである。

放埒な岸と違い、生真面目な有馬は単に暗いだけの女性しか演じる事が出来なかった。
岸が演じていれば、暗さだけではない、突き抜けた何かを表現出来たはずである。
東京暮色はクランクインする前から失敗を運命づけられていた作品なのである。
しかし堕胎した明子と幼子を交互に映すカット・バック・モンタージュ、ラストの駅のホーム響きわたる明大校歌と北海道に旅立つ車内の母の対比等、今までにない小津の新しい表現が効果的に使われている。
もし東京暮色に岸恵子が主演したらと思わずにはいられない。

東京暮色は小津の映画にしてはテンポが早い。
時間が限られていたようで、小津はゲラのまま発表したと嘆いたという。
東京暮色が興業的にも、作品としての評価もふるわなかった。
風の中の雌鳥の失敗を繰り返したのである。
この失敗によって小津は二度と冒険をしなくなった。
野田との所謂小津調に安住する事になる。
その事が小津にとって良い事だったのだろうか。
少なくても東京暮色が成功していたら、小津調とは違う小津映画が誕生していた事であろう。
小津の本質は一見穏やかな小津調ではなく、もっと過激で破壊的だったのだと思う。
もはや見る事が出来ないアナザー・ロードの小津映画。




それは風の中の雌鳥、早春、東京暮色の不倫三部作から想像するしかないのである。