子供の頃は偏食の母の影響で肉も魚も好きではなかった。
今では好き嫌いは全くない。
しかし不味い物は断固として食べない主義である。
その魚肉ソーセージなのだが、調べてみると意外に歴史が浅い。
戦後直後は日本最初のカレールーが販売されるなど、日本の食に革命が起きた時期だ。
開発したのは東京で教師をしていた菅原傳氏。
妻の疎開先である郷里に戻って来たところ鰺が豊漁で捨てるほどだったのに目を付けた。
明治屋と提携した後に売り上げは倍々に延び、ピーク時の昭和43年には19億円の売り上げをあげたという。
私の幼年時代は魚肉ソーセージが急速に普及した時代だったのである。
ちなみに赤いウィンナーは昭和の中期に考案されたもので、発色の悪さを隠すために着色料を使うという苦肉の策だったという。
私が子供の頃は今では考えられないほど人工着色料を使われていた。
農薬まみれの野菜を食べ、水銀などに汚染された魚を食べていた時代なのだ。
無農薬だとか有機野菜だとかに拘る最近の母親を見ていると、そんな無菌状態で子供を育てたら免疫が付かないと思うのだが。
放射能に汚染された雨に打たれ、光化学スモックなどの公害に晒されて来た私達の世代は怖いものなしである。
魚肉ソーセージは今でもたまに食べる。
しかし最近の魚肉ソーセージは混ぜ物をしたのか粉っぽい気がする。
昔の製法で作られた物を食べたいものだ。
魚肉ソーセージに赤いウィンナー、缶詰。