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団伊玖磨は「沢山食べられるお菓子は、だから、上等で無いものに限る、金平糖、氷砂糖、赤く染めた鯛煎餅、そしておこしの類などはその意味で、何だか訳が判らない程に懐かしくて、懐かしいながせ余りおいしくないところから、沢山食べられて、良いものである」と語っている。

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正論である。
旨過ぎる物は常用するのは困難である。
スペシャルな物が日常化してしまう事の悲劇。
それはスペシャルがスベシャルでなくなってしまうという事。
内田百間は到来物に良い酒を貰っても、旨過ぎると料理酒に使ったりしたという。
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團は見た目ばかりの日本料理などは「虚飾だ」と切り捨て、あんこ菓子など田舎風なものも嫌い、金平糖などの歴史のある、少しエキゾチックなものを好んだという。
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嬉しいのは團が仙台の石橋屋のゼリー菓子を愛したという事。
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石橋屋は小川を挟んで私の家の斜め前にあった江戸時代から続く駄菓子屋。
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この店の駄菓子の詰め合わせを実家に帰省する際に持ち帰ったところ、両親が大喜びした事を思い出す。
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震災後に仙台を訪れたのだが、私の住んでいた家の近くが大きく変貌していた事に呆然とさせられたのだが、石橋屋だけは昔の姿のまま残されていた。
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団の高祖父の団琢磨三井財閥の総帥。
団はその菓子の趣向からも育ちの良さを伺い知る事が出来る。