このブログは、2008年1月1日に本格スタートしました。
主として以下のような観点で(何のこっちゃ)色々書き綴ります。
どうぞご贔屓に。
【嫌いなもの】
アイドル歌手
デタラメ英語
ウメボシ
日本人
【好きなもの】
まっとうな音楽
正しい日本語
おいしい料理
日本人
このブログは、2008年1月1日に本格スタートしました。
主として以下のような観点で(何のこっちゃ)色々書き綴ります。
どうぞご贔屓に。
【嫌いなもの】
アイドル歌手
デタラメ英語
ウメボシ
日本人
【好きなもの】
まっとうな音楽
正しい日本語
おいしい料理
日本人
思い立って、新潮社の開高健全集第9巻を借りて来た。
この巻には、開高サンの晩年(1973〜1990)の小説が収められている。
が。
これらは、いわゆる「小説」ではない。エッセイというか、体験談というか。
開高サンは、ある時期から小説が書けなくなった。
で。
武田泰淳サンの勧めに従って、ルポルタージュを書き散らしたら、ますます書けなくなってしまった。
釣り紀行と称して、世界中を逃げ回った開高サン。
苦し紛れに、開高健を「書いた?書けん」というパロディを面白がってみたり、開高健の反対は、閉低患(ピー・ティー・ファン)であると書いてみたり・・・
人によっては、「夏の闇」を開高サンの最高傑作だと言うが、ワタシは、そうは思わない。あれは、私家版ポルノですよ。
闇三部作の最後を飾る筈だった「花終わる闇」は、未完のまま終わった。
何故か。
「夏の闇」ですべてを曝け出し、描き尽くしてしまった開高サンの物語は、枯渇してしまったのだろう。
開高サン作のサントリーウィスキーのコピーやエッセイの端々に現れる独特の言い回しは、まことに素晴らしい。
しかしながら、そこまで。
結論:開高健サンは、小説家になれなかった小説家である。
遂に梅雨が明けたら、途端に暑いのなんのって。
ゴミ出し帰りの福原邸趾は、蟬時雨を通り越して、蝉豪雨である。
我らが子どもの頃の夏休みは、30℃を超える日は多くなかったような気がする。それが今や35°C超えは、珍しくない。
かつてこんな記事を書いたことがあったけど。
年寄りに無理は禁物。こまめにエアコンをつけよう。
どうでもいいけど、こまめの頭にアクセントを付けるのは、違和感があるね。
中島みゆきサンの「時代」は、唐突な出だしが素晴らしい。
遠い昔、職場の飲み会があった時、変人で知られる若手の某と話す機会があった。
みなみらんぼうサンに似た容貌の某は、口髭を生やし、太いタイヤを履いたピックアップトラックで通勤していた。要するに何事にもこだわりの強いオニイチャンであった。
話が音楽に及んだ時、某が言うには、好きな歌手は、中島みゆきであると。
で。
「ふーん、あんなブスが好きなの?」と言ったら、某は機嫌が悪くなった。
だって、当時の中島みゆきサンは、イモネエチャンそのものだったんだもん。
今にして思えば、某はいいセンスをしていた。
まわるまわるよ 時代はまわる♪
某は、若くして交通事故で亡くなってしまった。あのピックアップトラックで、天まで駆け抜けたのだろう。
中島みゆきサンは、古稀を過ぎてますます元気である。
祖母Fusaは、タクシーのことをハイヤーと言っていた。
ある時、名古屋に住む伯母が、タクシー会社に電話してハイヤーを頼んだところ。
白手袋の運転手が運転する大型外車がやって来たので、クリビツテンギョウ!
そう、ハイヤーはタクシーじゃないのである。豪華な車なのである。ベラボーに高いのである。
これは想像だけど。
若き日のFusaは、実際にハイヤーに乗っていたんだろうね。いつまで経ってもタクシーという言葉を使わなかった。
で。
Fusa言うところのハイヤーが、自然に伯母の脳に刷り込まれたのではなかろうか。
待てよ・・・
かつてこんな記事を書いていた。同じ話を書くようじゃアキマヘンナ。
Safuroとワタシは、毎週この番組を観た。
当時全盛期だったアーノルド・パーマーとゲイリー・プレイヤーが、これも一流のゲスト2人を相手に、ベストボールのマッチプレーをやるのである。
Safuroは一生懸命観ていたが、ワタシは、4人の誰が誰やらわからず、なんのコトやら三味線やら。
で、どうなったかと言うと。
Safuroのゴルフは、まったく上達しなかった。当たり前である。世界トップクラスのゴルフが、3ヘタの参考になる訳がないではないか。
後年ゴルフを始めたワタシは、デビュー戦で1ラウンド120を切り、間違いなくシングルになると言われたのに。のに。のに。のに。
Safuroの練習嫌いを受け継いだワタシは、遂に90を切ることがなかった。まあ、いいけど。
実は。
ミートソースをつくっている時、不名誉の負傷をしてしまった。
ワタシは、料理前に包丁を念入りに研ぐことを慣わしにしている。
なんとならば。
よく切れる包丁を使えば、タマネギを刻む時に涙が出ないし、刃にしがみつく根菜類を切る時に余計な力が要らないから、安全なのである。
出足のいい車のほうが、一瞬で危険を回避出来るので、安全なのと同じなのである。違うか。
今回も日本刀のように研ぎあげた包丁で、ニンニクを刻み、ベーコンを刻み、タマネギを刻み、人参を刻み、セロリを刻み、最後にマッシュルームを薄切りした。
マッシュルームは、サクサク切れるので、まことに快適である。
ひと通り切り終わって。
右手に持った包丁の刃にくっついたマッシュルームを左手で外そうとした時。
やっちまった。
人差し指の腹を切ってしまったのだ。
滲む鮮血を押さえながら、救急箱からバンドエイドを取り出し指に巻いた。
切り傷は派手に出血するが、傷口を押さえれば、すぐ血が止まる。画像は1日経過後のものである。
それで思い出した。
遠い昔、わが田舎のまつりに、蛇使いの大道香具師が、ハブが入っていると称する袋を持って現れたことがある。
「はい、この袋の中にはハブが入っているよ。この線より入らないでね」
彼は、ひとしきり口上を述べた後、自分の腕を日本刀で切って、流れる血を観客に見せた。
それから。
血止めの薬を染ませた布でピタリと血を止めて見せた。あれは、浅〜く切ってたんだろうね。
大熱演であったが、誰も薬を買わなかった。蛇は最後まで見せてくれなかった。
Shaw一家に晩ごはんを食べさせてやるとて、ワタシは、いつものようにミートソースを担当。
ミートソースづくりは、材料を刻むのが面倒なのよね。
ニンニクの微塵切りをオリーブオイルで炒め、香りが出たところでベーコンの微塵切りと挽肉を加えて、塩胡椒をパラリ。
そこへ、タマネギと人参とセロリの微塵切りを加え。
マッシュルームを加え。(本当はブラックマッシュルームがいいんだけど)
赤ワインとドミグラスソースとトマトジュース、それにスパイスを加え、隠し味にコンソメキューブを放り込んで煮込み、ウスターソースとケチャップと塩胡椒で仕上げるのだ。
パスタを茹でるのとサラダはTukoの担当。ドレッシングとパルミジャーノをぶちかけて、赤ワインと共にいただきまーす❣️
どうだどうだ、参ったか。そんじょそこらのレストランより遥かに美味しいんだから。