なおちゃんのカウンセリングモニターさせていただきました(/∀\*) 

いろーんな気付きがあって、本当有難かったです。
一人じゃなかなか気付けない。


「ちゃんとしたいのに」
何回言ったでしょう?


「どうせ私は…」に続く言葉は?
て聞かれて、自然に出てきたのは

「出来損ないだから」

だった。


「ちゃんとしたいのに、出来ない」
「だって私、出来損ないだもん」
「だから、いつも迷惑かけちゃうの」
「私じゃなかったら良かったのに」

「そしたら、お母さんは、もっと幸せだった」



……そーゆーコトかぁ……


て。やっと気付いた。



「こんな自分でごめんなさい」
「私でごめんなさい」



私がママじゃなかったら、子どもたちはもっと幸せだった?

私が妻じゃなかったら、夫はもっと幸せだった?

私が担当じゃなかったら、患者さんはもっと幸せだった?


私が子どもじゃなかったら、お母さんはもっと幸せだった。



なんで、そんなこと、思い込んでるんだろう?



愛されてる実感はあるのに。


「こんな私でも、どうせ愛されてる」

ては思える。


のに。


「こんな私」が愛されることへの罪悪感のが大きくて。


「こんな私」なのに、愛されてしまうのは申し訳ない。

「こんな私」だから、不当な扱い受けて当然で、傷付けられて当然で……


もっとズタズタになればいい。




て………



どんな前提握りしめてんだよ? 私。



「充分ちゃんとやってるよ」
「出来損ないなんかじゃないよ」


そー言われても、


「分かってないだけだよ、私が足りないの」
「全然出来てないのに、出来損ないじゃないはずないじゃん」

て、否定して、証拠集めしようとするの。



「もっと頑張れば、もっと出来るはず」
「完璧には出来なくても、もう少しマシになるはず」

て、自分を追い込もうとするの。


「頑張れば、それなりに出来る」んだよね。
なんでかそんな自信はあるらしく。

おっかしいよねぇ……



……あー……コレ、面倒くさいヤツやぁ……



でも。


そんな面倒くさいトコを含め、私は私で。




「ちゃんとしなくても、愛される」
「出来損ないでもいい」
「認められなくてもいい」

「ちゃんと出来なくても、出来損ないでも、
お母さんは幸せなんだ」


て。


前提を変えるコト。



……めっちゃザワザワする。

「そんなことあるはずないやん」
て否定したくなる自分が消えない。

また証拠集めしたくなる。


「長年握りしめてきた前提・考え方の癖が、そんの簡単に変わるはずないよ。
でも、それでもいいの。

そーゆー考えが出てきちゃったら

『あ、またやっちゃった♡』

だけでいいの」


て、なおちゃんの言葉。


前提を変える。


「ちゃんとしなくても、愛される」
「出来損ないでもいい」
「認められなくてもいい」

「ちゃんと出来なくても、出来損ないでも、
お母さんは幸せなんだ」



あーもーどんだけお母さん好きなんやろね(*´艸`)


心屋さんの「お母さんを捨てていい」も私にとっては、すっごいザワザワする言葉でした。


すっごく大好きで、すっごく大切で、すっごく感謝してて、でも弱っちぃお母さん。


だから

「私が、ちゃんとして、お母さんを幸せにしなくっちゃ」
「私が頑張って、お母さんを笑顔にしなくっちゃ」
でも
「私が『欠陥品で、頼りない私』でいることで、お母さんに生きがいを持たせなきゃ」

て。そんな前提、持ってた。



「ちゃんと出来なくても、出来損ないでも、
お母さんは幸せなんだ」

そいで、

「私がちゃんと出来ても出来なくても、私がどうあっても、
お母さんは幸せなんだ」

ていうことにしたら?



「ちゃんとしなくても、愛される」
「出来損ないでもいい」
「認められなくてもいい」

をも少し受け入れられるかな……



まだまだ途中だけど。

なおちゃんへのお礼を込めて、
頭ん中、オープンにしてみました(〃∀〃)ゞ


なおちゃん、本当ありがとうでした♡

そして、なおちゃんも私の憧れの人の一人であります♪
これからも、そのまんまでいてくださいませ☆


本当ありがとうございました♡