大阪城ホールから中1日で 横アリ3日間 4公演
へとへとに疲れた状態で 翌朝、あさイチ生放送番宣。
おそらく、そのまま広島へ向かったのでしょう。
そうとう疲れが溜まってるはずなのに
なんで この人は こんなに凛としていられるのだろう。

おそらく、
打合せから 光一さんが メインで仕切ってるんでしょうね。
隣に ボサーッと立ってる人は 役に立ちそうもないし
というか、放送事故が心配よね。
初っ端から やってくれちゃったもんね。
光ちゃんは どんだけ フォローしたんだろ?
堂本◯くん、
「今日は“さまざまな場所”から」 って オイッ

広島を中心に 長崎 、東京からって 番宣でも
何回も言ってたでしょう? ← 放送事故だよッ!
空かさず 光一さんが『東京・長崎』 とフォロー

女性アナウンサーが 一瞬 (・・;)引き攣ってたわ。
これっぽちも 覚えられない ポンコツ頭かいッ!
さだまさしさんの 曲紹介でも
……で……で 滑舌悪くて聞き取れない。
肝心な曲名を 読めないんかいッ!
「いのちの……(沈黙)……理由」
光ちゃんの口が「りゆう」と動いてる。
ええーーっ! まさか! カンペの 理由が読めなかったの?
ADさんも “理由”にまで “ルビ” ふらないよねえ。
吉永小百合さん。
相変わらず お綺麗ですね。
対談中も 光一さんは 足を揃えて姿勢良く
さすが 帝劇を 15年間即日完売で満席にしてきた
座長の品格が その姿から滲み出てます。
かたや・・・堂本◯
うーん。 何でしょう あの態度は。
大女優を前にして 緊張感のカケラもないのね。
投げ出した足は…靴下履いてないの?
◯くん、ビンボーゆすりは 止めましょうよ。(ーー;)
いい年して 自分の母親を「お母さん」 って (ーー;)
戦後 70年だって言ってるのに 防空壕の記憶って
あんたのお母さん 幾つよ?
あの時代は栄養が摂れなかったから 子どもは成長が遅くて
当時 5歳くらいでないと 記憶には ないと思うけど?
お母さんは 76歳くらいなの?
幾つの時の子?
まあ、いいわ。
そうそう、戦争についてね。
やっぱり、光ちゃんと同じく 聞くのが憚られたのよね。
うちの母親は どうやって逃げたとか よく話してたけど、
祖母とか
戦争に行った伯父たちは 何も語らなかったわね。
聞いちゃいけないんだろうと…私も、そう思ってたわ。
戦争当時の映像をみれば よく生き残ったなあ~と
特に、下町は 焼け野原でしたもんね。
吉永小百合さんとの対談で
森光子さんが 話していた
『エンターテインメントは
世の中が平和でなければ成り立たない』という話。
3.11で、全公演が中止になったことで
その意味が よくわかったという話は
やっぱり、帝国劇場の座長の言葉として 重みがありましたね。
うーん。
この番組の司会って、1人のほうが良かったんじゃないの

最後の言葉も 時間内に 綺麗に収めましたね。
隣がダラダラ喋るから またカウコンの二の舞かと
ドキドキしちゃったわ。
エンターテインメントに携わる身として
歌うことによって何かを届けて行けることの幸せ
それが キッカケになって また一歩進んで行けたら…
『未来に平和の願いを繋げていきましょう。』
綺麗に 纏めましたね。 流石です。
本当は、最後に “CONTINUE”を歌って欲しかったな。
もちろん、ソロでね。