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芸能人と実際に接する機会って少ないけれど
今まで 会った芸能人で
実際に 『いい人だなあ』と思ったのは
島倉千代子さんです。
お会いしたのは たった1度だけですけれど
裏方の皆さんに 丁寧に挨拶してらっしゃったんです。
まだ小娘だった私にまで 挨拶してくださった。
とても綺麗で 素敵な方でした。
当時の島倉さんは 36歳でした。
あ❗️
今、私が応援している 堂本光一さんも
当時の 島倉千代子さんと同じ年齢だわ

テレビで きんきとして出ている時の光一さんは
ちょっと ぶっきらぼうに見えるけど
グループで居るときの光一さんと
ソロ活動の光一さんって、まるで別人のようです。
素の堂本光一さんは
細かいところまで よく気のつく人だと思います。
プラべの光一さんも けっこう昔ですが
たまたま、2回ほど見かけた事があります。
いつ、何処で…?
それは、ここには書けませんけど


先月 19日の 帝劇で起きてしまった事故についても
普段から そうなんですが
褒められるときには 『僕たち』とか『僕ら』と言い
批難されるかも知れないとき
責任を問われるときには『僕は』 と 言う人なんです。
事故があった翌日の 20日に
批判の声があがることも 覚悟の上で…と
座長が 矢面に立ち挨拶して幕を開けることになりましたが
千穐楽の 座長の挨拶で…
その 20日の幕を開ける直前に
大道具の棟梁さんが 座長のところに来てくれたそうです。
「 座長、頑張りますので…」と いうことを言ってくださって…
僕もグッときて
今までに 生まれたことのないエネルギーが生まれた…と。
これ、普通なら…
再開が決まった 20日の公演で
開演前の挨拶や終演後の挨拶で言うところですが
何か あった時の責任は 座長である堂本光一が負う
何があっても 仲間であるカンパニーを守る
という 男前な座長なので
この大道具の棟梁さんの話は
千穐楽の 挨拶で 初めて 話してくれたのです。
万が一の場合に
棟梁さんが 責任を問われる事が無いように。
そして、
感動した話として 千穐楽に 観客の前で話してくれました。
15周年を迎えた今も 即日完売
ずーっと『満員御礼』の札が立つ舞台SHOCKは
2005年に ジャニー喜多川社長から引き継いだ
『Endless SHOCK』となってからは
完全に 堂本光一オリジナル作品になったのですが
『作・構成・演出』は ジャニー喜多川のままです。
台本も 構成・演出 そして 劇中の 主だった曲も
堂本光一の作曲なのですが
自分の名前を出そうとはしない。
ジャニーさんへの恩と
元のSHOCKを演じてきた少年隊への想い
とにかく 義理堅い人間です。
島倉千代子さん以来ですね。
ああ、いい人だなあ・・と、
堂本光一さんのファンで良かった…と しみじみ思うんです。
この人と 同じ時代に生きられて良かった。
と、思える人に出会えたことを 幸せに思います。