「安定を選ぶか恋愛を選ぶか」

先日、ある人からいただいた言葉である。

極端に捉えれば
「恋愛無しの安定」
「安定無しの恋愛」
その2論なのだろうと受け止められた。

「自分」は何を求めているのか。

その2論の先に自分の「幸せ」が果たしてあるのだろうか
と考えてしまった。

何を「幸せ」とするかにもよるのだが、
では、「自分の幸せ」とは?

「幸せ」の定義とは?
目に見えないもの故、カタチに表せない。
そして「人それぞれ」だということ。

ただ漠然と思うことは
自分自身が「満たされた」と感じることがそれに近いのではないかと。

そしてそれは
自身が「欲しがって得たもの」なのか「与えたことにより得るもの」なのか。
そこでも違いが出る。

そんな自分も今までそれなりに歩んできていた、そう思っていた矢先に、友人から指摘を貰う。
「普通なら耐えられない」
と。
そう言われて、いかに自分を押し殺してきていたかに気付いたのだ。
喜怒哀楽を感じないわけではない、が、
ひんやりと重い心の上でその感情らが波を打つ。

「感情で満ち足りる」ということがいつの間にか無くなっていたのだ。

「波立つ感情に色を乗せ相手に魅せる」
そういうことをしていたようだ。
それも「無意識」に。

気付かなければ「幸せ」のカーテンで隠れたままだったかも知れない。
知ってしまった「今」はそれを開けて降り注ぐ「幸せ」を自分の足で探せるということ。

止まらずに歩き続けることで色々な「幸せ」を感じられるのだろう。

「安定」か「恋愛」か
歩き続ける中で様々なものに出会えるだろう。
その中で答えに出逢えるかは分からないが、歩き続けることが今の自分に必要なことなのだろう。